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昼間たかしの100人にしかわからない本千冊 21冊目

1989年、女子高生エロスの誕生──雑誌「GORO」がロリコンをとことん変態扱い!

1989年、女子高生エロスの誕生──雑誌「GORO」がロリコンをとことん変態扱い!の画像2「GORO」1988年2月11号

■国士舘、帝京、東京国際、大東文化は素人童貞で大学生活が終わる

 でも、世の男性たちが女子高生へと対象年齢を下げた根本的な原因はなんだろう。ひとつ考えられるのは、女子大生を相手にすることの困難さである。80年代を通じてブームとなった女子大生は、同年代の若者からオッサンまでが愛おしみ、必死で口説く巨大なカテゴリーであった。

 けれども、そこには困難さが存在した。少なくとも、オッサンならばカネを持っていなければモテない。80年代後半、急速に普及したクレジットカードだが、ある程度の年であれば年会費の高いゴールドカードを持っていなければ、まずステージにも上がれないという具合。そう、なにかと曖昧な現代と違い、バブル時代には女のコと仲良くなる必須条件は明確だった。

 ならば、若者はどうだったか。女子大生が相手にするのは、だいたいが同年代の学生たち。そこで見られるのは通っている学校名にほかならなかった。件の「GORO」1988年2月11号では「これが噂の女子大生算出版 ウラ偏差値リストだッ」という記事を掲載している。

 ここでは、とにかく受験を突破して大学デビューを目指したい男子への、極めて残酷な見出しが……。

「大学で決まるSEXの相手」

 ようは、どこそこの大学の男子学生は、おおよそ、このあたりの女子大生と付き合うという相関関係があるということ。東大や一橋、都立大に通っていれば、お茶大や東女(とんじょ)あたりの女子大生と。立教・上智・青学あたりは、学内でそれぞれ相手を見つけているという具合。でも、この記事はその先の残酷な真実をも知らせる。たいてい女子大生と付き合えるのは日東駒専あたりまで。それよりも下のランクの国士舘、帝京、東京国際、大東文化では、女子大生には、まったく相手にしてもらえないという事実を突きつけるのだ。

 彼女ができる確率は限りなくゼロに近く、寂しい学生生活になること必至だが、コンパのあと先輩にソープに連れていかれるので、童貞喪失だけはできる。

 つまり、80年代後半のバブルの空気の中で、日東駒専以下の男子学生たちは、最初から女子大生には相手にもしてもらえない、アウトカーストになっていたのである。

 何しろ、学内に希少な女のコがいたとしても、そいつらは、こぞって日東駒専以上の男子と付き合っているもの。学力面では同等だとしても、まったく相手にはされなかったというわけか。

 すなわち、女子高生とは世の寂しい男性にとってのフロンティアであったという具合。それが21世紀のJKビジネスへとつながっていくとは、誰が想像しただろうか。
(文=昼間たかし)

1985-1991 東京バブルの正体MM新書)

あの頃はスゴかった

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最終更新:2019/11/07 18:42
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