「佐藤秀峰さんには頭が上らない……」『やれたかも委員会』吉田貴司の屈辱の日々と、ウェブ漫画家としての生きる道
#本 #マンガ #インタビュー #北村ヂン
■『やれたかも委員会』が話題になってザマア!
――再び佐藤さんのところで働きつつ、自分の作品も描いていた?
吉田 描いてはいたんですけど、『シェアバディ』の泥沼で心が折れ、もう編集者と何かをするのがイヤになっちゃって。だったら、ネットで描いて自分で電子書籍を出せばいいんじゃないかなと思うようになりました。
――ネットでの展開というのは、佐藤さんの影響も大きいんじゃないですか?
吉田 そうですね。佐藤さんのところで電子書籍の仕事を担当してたので、電子書籍のストアのことや契約の仕方など、見て勉強させていただきました。それで、自分でネット展開するに当たって、どうすればいいかなと考えて、まあ考えてもわからないので、とりあえずTwitterに1ページ漫画を毎日上げるというノルマを課しました。それが16年の2月くらいのことです。
――それ、お金にはならないですよね?
吉田 ならないですね。とりあえずいろいろと発信して、フォロワーを増やそうとしました。それから同人誌とか作って、500人くらいに売れるようになれば、別にいいかな……と思ってました。でも、最初はフォロワー700人くらいしかいなかったし、知り合いばっかりだったんで、作品を載せてもぜんぜん反応ないんですよ。毎日スベリ倒しで、心がバキバキに折れました。
――それでも、編集者と一緒にやるよりはマシだと?
吉田 そうですね。
――Twitterで初めて反応があったのは、いつ頃ですか?
吉田 『やれたかも委員会』がバズッたのが16年の9月なんですけど、それまでほとんど無反応でしたね。女の子がおじさんの気持ちを言う、みたいな漫画が1000RTいったくらいで。それから、9月に1万RTいったネタがあり、そのタイミングで過去の『やれたかも委員会』をネットの有名人の方が見つけてくれて、おかげでものすごく拡散しましたね。
13年にはブログとnoteに上げていたんですけど、それまではまったく無反応でしたから。16年4月に続編として『やれたかも委員会2』を描いて、noteで100円で販売したんですけど、それも4個しか売れず。
――400円……。
吉田 振り込み手数料を引かれるから、振り込まれもしないんですよ。
――でも、Twitterに漫画を上げ続けていたことによって、やっと『やれたかも委員会』に日の目が当たったと。
吉田 はい、「1」が20万PVいって、「2」も300個くらい売れて。「なるほどー、バズると、こういうことになるのか」と。そのタイミングでいろんな版元さんから「連載しませんか?」「書籍化しませんか?」って声をかけていただきました。ただ、連載をして原稿料をもらえるというのは魅力的だったんですが、やっぱり……電子書籍の権利を自分で持ちたかったんですね。それを要求したら、どこも通らなかったです。
――佐藤秀峰さんレベルが要求したら通るけど……。
吉田 まあ、普通に考えて紙書籍のみで「原稿料が回収できるくらい利益になる」と思われないと、その条件はのんでもらえませんよね。打ち合わせで電子書籍の権利の話を出すと、みんな顔色変わるんですよ。「吉田さんと、そんな話はしたくなかった」と。
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