「佐藤秀峰さんには頭が上らない……」『やれたかも委員会』吉田貴司の屈辱の日々と、ウェブ漫画家としての生きる道
#本 #マンガ #インタビュー #北村ヂン
■作画家・編集者とモメて泥沼の展開に
――そんな時期に『やれたかも委員会』も描いていたんですよね。
吉田 そうなんですよ。第1話は2013年に描いています。くすぶっている時期に読み切りをたくさん描いていて、その中の1つでした。『やれたかも委員会』は「ビッグコミックスペリオール」(小学館)で奨励賞をもらったんですが、連載にはならなかったですね。あの形式だと、どうしてもオチがワンパターンになっちゃうと言われて……。
それから別の作品を描き始めて、15年に「これは面白いぞ」というものができたんですね。その『シェアバディ』という作品で連載をやれることになったんです。……絵がダメだから、原作者として。
――それまでの期間って、何をやって食べていたんですか?
吉田 『フィンランド・サガ(性)』が終わってからは工場で働いていたんですけど、その工場も1年くらいで潰れちゃって。困り果てて、佐藤さんのところに行ったら「ウェブの仕事だったらあるけど、やる?」って言っていただけて。でも、1年くらいたった頃に『シェアバディ』の連載が決まったんで辞めました。
――勝手ですねー!
吉田田 本当に申し訳ないです。でも初の週刊連載だし、ここは勝負かけようと思ってしまいまして。……その『シェアバディ』も、半年で打ち切られるんですけどね。作画家・編集者とモメるという泥沼の展開になっちゃいまして。
僕は話をじっくり考えたかったんで、持ち込む前に100ページ、連載が始まるまでに200ページ描きためていたんですよ。ところが、始まったら「人気がドベだから話を変えろ」っていうことになって。それまでは絶賛してたくせに。でも、先まで決まってるし、変えられないですよ。別案を作っても、元のクオリティーを下回るのがわかってますから。そしたら、作画家・編集者とで勝手に話を変えちゃったんです。
――え、そんなことあるんですか!
吉田 そうなんですよ。原作者の僕が知らないキャラを出されても、困るじゃないですか! だから、最後の3巻は読んでもいないですね。……思い出したら、泣きたくなってきました。
それで連載が終わって、また佐藤さんのところに頭を下げに行って……。
――ええーっ!
吉田 辞めて半年で戻っちゃって(笑)。頭が上がりませんよ、もう。
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