“ゴジラ映画史上最大の異端児”坂野義光監督に捧ぐ『ゴジラ対ヘドラ』にまつわるエトセトラ
#オワリカラ #偏愛文化探訪記
まず、坂野さんは助監督時代から培ってきた水中撮影の技術で、数々の水中映像のドキュメンタリーの傑作を生み出していく。困難に直面しながらも、水中撮影のノウハウを切り開いてきた坂野さんは、日本の水中撮影のパイオニアと言っても過言ではない。
さらに万博での経験から、大型映像の未来を予感した坂野さんは、独自に日本初の大型映像「ジャパネックス・システム」を開発。80年代には、大型映像用のコンテンツの制作にも積極的に関わっていく。
いまやIMAX3D、4DMXなどの大型上映システムが映画の主流になっているが、坂野さんは40年も前からこの未来を予測し、その普及と発展に尽力してきた。
そして坂野さんの夢は、この大型映像システムで、もう一度ゴジラの映像を作り出すことだった。2003年、坂野さんはIMAX3D用にゴジラとヘドラが登場する短編を企画し、東宝との権利契約も締結する。
しかし、この『新ゴジラ対ヘドラ』は資金難に直面し、企画は頓挫寸前になってしまう。転機は10年、この短編3D映画の企画がとある人物の目に止まり、そこから「坂野版3Dゴジラ」は、さらに規模を拡大してハリウッド製作の長編映画として生まれ変わることとなる。
その人物が、レジェンダリー・ピクチャーズのトーマス・タル会長であり、その企画から生まれたのが、14年に公開されたギャレス・エドワーズ監督作『GODZILLA』だったのだ。この大作映画のスタッフロールに、坂野さんは「エグゼクティブ・プロデューサー(製作総指揮)」として大きくクレジットされた。
坂野さん自身の願いであった「環境問題に根ざしたシナリオとメッセージを」という想いも反映され、原子力発電所の事故を背景としたシナリオが完成した。
坂野さんは、自らのデビュー作であり、自身が特撮映画の世界を去るきっかけともなったゴジラの世界に、40年ぶりに帰ってきたのだ。そして、それはゴジラ映画自身の10年ぶりの復活でもあり、その復活の仕掛け人がゴジラ映画史上最大の異端児だった、というオマケ付きだ。
こんな痛快なことがあるだろうか?
スタッフロールに出た「YOSHIMITSU BANNO」の名前に、多くの『ゴジラ対ヘドラ』ファンは感動した。この坂野さんの企画書からスタートしたレジェンダリー版ゴジラは、今後も続編が予定されており、坂野さん亡き後も続いていく。
長年の夢を実現させ「新ゴジラ」をハリウッドで完成させた坂野さんだが、まだまだやりたい企画が山ほどあるようだった。14年、僕が見に行った坂野さんのトークショーでも、ヘドラが登場する新しい企画を進めたいと語っていた。
最近も、福島第一原発事故により新たなヘドラが登場するという『新ヘドラ』の企画を進めていたという。亡くなる直前まで、いくつもの企画を構想し、最新の映像技術を追いかける「現役映像作家」だった坂野さん。
そのエネルギーを『ゴジラ対ヘドラ』という1本の映画の中で追体験できる僕らは幸福だ。そして、坂野さん自身による『新ヘドラ』は残念ながら実現しなかったが、人間がいる限り、その陰から生まれる怪獣もまた、必ずいる。
新たなゴジラ、新たなヘドラは、時代の陰からヌッと現れてくるだろう。だからこの原稿も、このスーパーで終わる。
「そして、もう一ぴき?」
参考文献:『ゴジラを飛ばした男 85歳の映像クリエイター 坂野義光』
●タカハシ・ヒョウリ
“サイケデリックでカルトでポップ”なロックバンド、オワリカラのボーカル。たまにブログでつづる文章にも定評あり。好きなものは謎、ロック、歌謡、特撮、漫画、映画、蕎麦。
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