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「棒だけど棒じゃない!?」『貴族探偵』嵐・相葉雅紀が見せた意図的な“芝居の変化”に瞠目する

「棒だけど棒じゃない!?」『貴族探偵』嵐・相葉雅紀が見せた意図的な芝居の変化に瞠目するの画像1フジテレビ系『貴族探偵』番組サイトより

 いやー、今週も面白かったです『貴族探偵』(フジテレビ系)。毎週こんだけ面白いドラマを見せていただけるというのは、本当にありがたいことです。

 気分としては、もはや「フムフム、なかなか優れたドラマであるね」なんて評論したい気持ちは全然なく、むしろ「佐藤琢磨が『インディ500』で勝つとこ見られるなんて!」とか「最近、イボ痔が軽い!」とか、そういった生活の中にある小さな喜びが、月曜21時になれば与えられるという、そういう事実に感謝を伝えたいと考え始めているのです。(過去のレビューはこちら

 ところで、前回までの『貴族探偵』は、とことん“変化球”的な探偵ドラマとして放送されてきました。推理そのものは「本格」の名に恥じない作り込まれたものでしたが、「探偵なのに推理をしない」という主人公の設定が、作品の不思議な魅力を引き出すことに大いに役立っていたように思うんです。

「貴族で探偵ってなんだよ」とか、「そもそも貴族ってなんだよ」とか、そういう疑問をすべてブン投げたところから物語がスタートしているので、どれだけコメディ要素を詰め込んでも「推理が主役」という作品の軸がブレないし、貴族を演じる相葉ちゃんの芝居や描写にリアリティが欠如していたとしても「そりゃ架空の貴族だし」ということで、割り切って楽しむことができました。

 こうした演出のスタンス、つまりは「貴族は貴族だから、もうほっといて」という宣言が、原作の持つ「探偵は存在を漂白してこそ事件の真相に迫れるのだ」というニュアンスと実にマッチして、化学反応を起こしていたのが、このドラマが成功している所以だったと思うんです。ドラマが「貴族って、なんなんだよ」という疑問を追及しないからこそ、貴族探偵と女探偵のシンプルな推理合戦に没頭することができたんです。

 ところが、前回の第6話から、いよいよドラマは「貴族って、なんなんだよ」という疑問に正面から取り組むことにしました。女探偵に「貴族探偵の正体」を追わせることにしたのです。

 というわけで、第7話。

 今回は、1年前の事件という設定です。今回、貴族探偵の相手となるのは、これまで推理合戦でコテンパンにしてきた女探偵・高徳愛香(武井咲)の師匠である喜多見切子(井川遥)。切子はこの事件の直後に死亡しており、どうやらその死に貴族探偵が関わっているらしい。愛香がその謎を追いながら、貴族の正体に迫るというストーリーです。

 構図そのものは、前回までの「貴族探偵と女探偵の推理合戦」というフォーマットを引き継いでいます。事件現場に貴族探偵と女探偵・切子。一見して、愛香が切子と入れ替わっているだけにしか見えません。

 しかし、まず気づかされるのは、相葉ちゃんの演技プランの変化です。ほんの少し、テンションが高いんです。楽しそうなんです。これまで「棒だ棒だ」と各方面から棒認定されてきた本作での相葉ちゃんの芝居が、『貴族探偵』というドラマの作風を表現するために、存在感を希薄にしようとする意図的な抑制だったことがわかります。

 つまり、この相葉ちゃんの芝居の変化によって、1年前まで貴族はもっと純粋に趣味として無邪気に殺人事件の推理を楽しんでいたことが表現されます。もうひとつ、この事件とその後の切子の死を経て、何かの悲しみを背負ったことも。

 演出家の指示通りに演じただけと言えば、そりゃそうなんでしょうけれど、芝居を変化させて物語を伝えることに成功しているわけですから、俳優としてこれ以上ない働きといえると思います。

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