
古き良き山口組・加茂田組の姿が蘇る ! 大物芸能人たちとの写真も満載『烈俠外伝』秘話
#本 #暴力団 #山口組

■ダンプ特攻を考えた男
また、『烈俠』では、加茂田氏が初めに客分として迎えられた神戸のわさび会と、そこの会長であった米田義明氏が何者であったのかを明らかにできなかった。『烈俠外伝』では、米田氏が経営していた、とある場所の従業員によって、米田氏と加茂田氏の関係、普段は見せなかった加茂田氏の素顔が明かされている。文字数にしてはそれほど多くはないが、組員、また関係者すら見たことのない加茂田氏の描写も含まれている。
さらに、山一抗争を最前線で戦った元加茂田組系の若頭補佐・沖中東心氏のコラムも必読といえる。実際に命を懸けて戦ったが、どれだけ加茂田組を誇りに思っていたのかが伝わってくる内容である。
今回、沖中氏とは、共に加茂田氏宅へ伺い、親分と会うことがかなえられた。それだけでなく、今も加茂田組を思う沖中氏の気持ちを感じ取ってくれたのか、親分からの感謝の品物を受け取ることができたのである。これは、元組員としては感極まる出来事であったに違いない。加茂田氏から直接何かを下される最後の組員かもしれないのだ。
その沖中氏は、かつて加茂田組の部屋住みをしていた時期があるが、同時期に共に部屋住みをしていたのが、前述した日本で初めてダンプ特攻を行った人物である。巨大なダンプカーで敵の組事務所に突っ込み破壊するという、その後、ヤクザ映画などでもおなじみとなった、とてつもない戦法を考え出したのは、果たしてどんな人物だったのか。その前後の話も大変興味深い。
この人物と沖中氏との2人の当時の思い出話は、部外者である私が立ち入る隙もないほど、実に濃密な対談であった。当時の加茂田組の内情が十二分に伝わる内容といっていい。
■昭和のヤクザの魅力
加茂田組とは、昭和の後半を代表する組織のひとつに数えられる、三代目山口組の有力組織のひとつであった。その後、山一抗争で敗れ、解散を余儀なくされている。だが今でも、その時代を生きた人々の脳裏に、加茂田重政と加茂田組は、深く焼き付いている。それはなぜなのか?
答えは簡単ではない。桜の花のように、ぱっと咲いてぱっと散る姿を愛する日本人に、その美しい去り際が見事に映ったのであろうか?
私は、世間の人々にいい意味での影響も与えたのが、昭和のヤクザだったと今でも思っている。地域住民とのふれあいがあり、堂々と芸能界と付き合っていたのもこの時代だ。
それから数十年を経て、今もヤクザの抗争事件が日本全国で毎日のように起こっているが、あの頃の抗争とは何かが違うのだ。「では、違いは何か?」と問われれば、返す言葉は持ち合わせていないのだが……。しかし、そう思うのは私だけではないはずだ。『烈俠外伝』を見てもらえば、そのことをさらに強く感じるに違いない。
『烈俠外伝』の最後には、加茂田氏の自筆の署名と近影も掲載されている。
加茂田重政という男と彼が率いた加茂田組の実像を浮き彫りにした『烈俠』と、それに続く『烈俠外伝』。ヤクザの歴史に名を残した彼らを取り上げるのは、今回で最後となるであろう。
(文=花田庚彦)
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