「君たちはどんなに頑張ってもリア充にはなれない」意識高い系は、なぜ面倒くさい? 文筆家・古谷経衡が暴く“承認欲求の怪物”の正体
#本 #インタビュー
――相手をバカにする言葉として扱われる傾向にあります。
古谷 なんか……そこまでバカにされると意識高い系の人々を抱き締めたくなってしまうんですよ。「もう頑張んなくていいよ。身の丈にあった生活をしなさい」と言いたい。だからといって彼らの承認欲求のコンプレックスがなくなるわけでもないし、地方から東京に出てくる人はいっぱいいる。東京の中でもスクールカーストに悩まされる人も、これから新しい学年になるたびに出てくる。そうすると、意識高い系が生まれる素地は温存された状態になる。じゃあ、そういった人が現出してきたときに「お前たちはいなくなれ」って言ってはいけないのではないか。本当に唾棄すべきなのは、この本書にも縷々書いてあるように「リア充」なんですよ。彼らは天然的に恵まれていて、天然的に強くて、土地を親から相続される「強者」なわけだ。時として彼らが学校空間の中で支配階級となり、加害者になってしまうことの自覚さえ持っていない。あるいは、忘れてしまっている。僕は意識高い系の人たちを教導するべきだと思うんです。「君たちはどんなに頑張ってもリア充にはなれないんだから、そこまで虚勢を張らなくてもよい。それより己のコンプレックスを直視して不断の努力で戦力を蓄え、共同戦線を張ってリア充と戦おうじゃないか!」ぐらいの方が、まだいいんじゃないかと。だって、意識高い系はリア充を目指し続ける青春時代の弱者なんですから。
――「リア充」と「意識高い系」の線が曖昧だったと思うんですが、この本でそれがはっきりし、かついろんなタイプがいることがわかった気がします。
古谷 例えば『東京タラレバ娘』(講談社)が流行ってますけど、あれの主人公なんか典型的な意識高い系だと思うんです。地方から出てきて、東京で頑張っている。相応の実力もある。でも、すでに30を過ぎて路頭に迷う兆しがある。真に異性から承認されずに焦燥感ばかりが募り、苦悶している設定ですよね。僕は東村アキコ先生が大好きですけど、たぶん東村先生にもそういう意識が共感できる素地があるんだと思います。前提的なことから考えてみました。なんでこの物語の舞台は東京じゃないとダメなんだろう、と。これ、『金沢タラレバ娘』でもいいじゃんって僕は思ったんですけど、やっぱり、東京に自意識があるという地方上京組のキャリアウーマンの設定だからこそ東京を持ってくるわけです。それに比べて同じく東村先生の『ひまわりっ』は全く逆で、宮崎県が舞台の作品ですが。『タラレバ娘』の主要登場人物3名って、“東京で頑張っている私”の女性の話でしょ。でも、「地方から出てきて私頑張っているんだぜ」っていくら苦悶しても、元々東京にいるやつには敵わない。伊集院光さんとか石田衣良さんとか西村賢太さんには敵わないんですよ。元々の江戸っ子の余裕には、地方上京組は敵わないんですね。石田さんはともかくとして、伊集院さんや西村さんには気取ったところなんて何一つない。ラジオや本を読んでいると泥臭さの塊ですよね。東京の地元民だから東京という土地に自意識を持たないんですよ。東京にブランド意識を持っていて、東京という土地のブランドに固執するのは地方上京組の田舎者です。マンションデベロッパーの良い食い物ですよね。ニコタマとか吉祥寺とかベイエリアのブランドイメージだけで物件を高値掴みしてくれるんだから一番の上客ですね。その実勢より高く評価されたコンクリートの塊を、「東京のブランド」というイメージだけで、超長期25年間分割ローンで買ってくれるんだから、銀行にとってもこの上ない上客ですよ。こんなに良いお客さんはいない。
害悪だと思うのは自らを意識高い系とは自称しないが、「意識高い系の生き方はいいよ、意識高い系は最高だ」っていうニュアンスで抽象的な「働き方」とか「生き方」とかを提示して、そこに「ノマド」とか横文字をくっつけて“あるべき、都市的で洗練さえた生活スタイル”を先導しちゃう人ですな。これはいわば“意識高い系商法”ですね。いいわけないじゃないですか、そんなの。洗練には時間がかかるから東京の地元民のようにはなれない。一方、真に承認されたいなら「ノマド」がどうのとかではなくて、地道な努力しかない。世の起業家は、いちいち自分の起業過程を見せびらかしたりしませんから。でもそこをアピールしたい人は、「起業に向けて頑張っている自分」をアピールして承認されたいわけですよね。実は起業精神などどこにもなく、興味もない。好きなのは自分自身で、でも中身が空っぽだから精一杯虚勢を張ってSNSに自己アピールを投稿し、刹那の「いいね」承認に満足するのです。そんなことに何の意味がありますか。だから、身の丈に合った生活水準を堅持し、不言実行で努力し、それが成就した暁にこそ他者からの承認がなされるのですから、そんなに背伸びしなくてよいと思います。意識高い系は常に「頑張っている自分」をアピールしたがるが、本当に頑張っている人はその過程をいちいち他者に喧伝しない。いい加減自己矛盾に気がつき、不言実行の精神を涵養するべきです。それ以外に天然に強き者=リア充に対し、青春時代の弱者たる「意識高い系」が打ち勝つ方法はない。
(取材=綾門優季[青年団リンク キュイ]/文=編集部)
●古谷経衡(ふるやつねひら)
1982年札幌市生まれ。立命館大学文学部史学科(日本史)卒。文筆家。一般社団法人日本ペンクラブ正会員。NPO法人江東映像文化振興事業団理事長。インターネットとネット保守、若者論、社会、政治、サブカルチャーなど幅広いテーマで執筆評論活動を行う一方、TOKYO FMやRKBラジオで番組コメンテイターも担当
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