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日刊サイゾー トップ > エンタメ > ドラマ  > 『山田孝之のカンヌ映画祭』第3話

『山田孝之のカンヌ映画祭』第3話 “あざとさ/痛さ”をコメディたらしめる地上波なりの着地点

 共感しあえるはずと見込んだのか、芦田に対し「こういうときに何回も聞き直すと、あの人、怒るから」と、「あの人」には絶対言えない「不安」を、ここぞとばかりに口にする。

 この時、芦田(12歳)が山下(40歳)に愛想笑いをしつつ、若干気遣いの眼差しを向ける。この先の現場で、しとしとと苦難が降りかかる監督・山下が、多少元気だったシーンだ。

 今回プロデューサーに徹し、映画には出演しないと言い切る「あの人」こと山田孝之は、どうやら先に現場入りしているらしい。

 山中の森林に囲まれた現場。すでに多くのスタッフが、準備でせわしなく動いている。

「監督の山下さんと、主演の芦田さんです」

 これから芝居をすればよい役者である芦田はよいとして、役者と同じタイミングで紹介され、突如現場に放り出さる監督。所在なさげに何度か会釈を済ますやいなや、「ちょっと一瞬いい?」と山田を連れ出す。

 まわりが準備に追われるのを横目に、「何撮りゃいいのコレ?」「聞いてないんだけど」と、山田にこそこそ問わねばならない監督である山下の心境は、なかなかにハードなものだろう。

「今日はパイロットフィルムを撮ります」と、現場に着いて初めてその事実を聞かされる監督・山下。同時に、助監督に段取りの説明を求められてしまい、「俺が(説明)するの?」「ええ山下さん、監督なので……」「あーそっか」という流れるようなやりとりは、監督だけが見ている白昼夢のようだ。

 パイロットフィルムとは、「スポンサーから資金を獲得するために先行してつくられる試験映像」で、企画書で説明しきれない世界観を短めの映像で提示し、資金を調達する近道になったりするものらしい。

 今話題の映画『この世界の片隅に』では、クラウドファンディングにより集めた資金でパイロットフィルムを作り、その結果ようやく本編の製作にこぎつけたのは有名な話だ。

 そんな大切なパイロットフィルム制作の日に、台本も渡されなければ(そもそも存在していないらしい)、監督がするような説明や指示は全て山田に持っていかれ、その説明等をスタッフらと共に聞きながら「そうだったの?」といった具合に誰よりも新鮮に驚く、監督であるはずの男・山下。

 今回に限らずだが、特に今回は、勝手にことを進める山田のおかげで、監督としての立つ瀬がどんどんなくなる人間・山下がたまらなく愛おしい。

 山田が他のスタッフらに説明しているのを、遠目で見ながら、こっそり「うんうん」とうなずく山下の姿を、山田ら越しに映したカットは、なんとも悲しい構図だった。

 どうやら、このパイロット版は、母親に殺されかけた少女が、森で目を覚ますシーンらしい。主人公の中の「殺人鬼」が芽生える大事なシーンのはずだ。

 リハーサル時などに、母親に殺されそうになる芦田の芝居に演出をし、まわりのスタッフを動かすのは常に山田だ。

 役者のかわりに芦田の首を絞める母親の架空の動きをさせられたり、山田に、小道具の包丁の落とし方が『火サス』のようだと揶揄される監督であるはずの男・山下は、どう見てもペーペーの新米助監督程度にしか見えない。あんなに前回、カンヌに向けて誰よりも熱くなっていたのに(どうやら、監督という職業は、全員が、素直に全権を握って好きなように演出だけできるというものでもないらしい)。

「親は死んだと思ってここに放置してるんですけど、死んでないんです」

「寂しいんですよ、母に首を絞められたのが最後の記憶なんで」

「もう戻るんだったら殺すしかないんですよ」

 監督の全く知らなかった人物の背景や芝居プランを、堂々と語るプロデューサー・山田。

 山田の「自分の首を絞めてる母の顔ですね」という演出に、山下が「父じゃないんだ? そうか、母か」と懸命に監督としての理解を示そうとしつつも、間違ってしましい、悟られないように自ら訂正するくだりも。

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