『山田孝之のカンヌ映画祭』第2話 日本映画の現在地と“プロ子役”芦田愛菜が迷い込んだ迷宮
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「率直に言って、僕がカンヌ行けない理由って何なんですか?」
「僕の映画の足りない部分というか」
もはや、カンヌを獲ると言い出したのが誰だかわからなくなるほど、山下にエンジンがかかる。
「僕がカンヌにいたら絶対選ぶんですけどね」と、フォローする紳士的な矢田部に対し、「矢田部さんが、カンヌのスタッフになることはないですか? この先」と、むき出しの山下。山田に振り回されてここに来たはずなのに、そんなにカンヌに執着していたのか。
山下はかつて、やはり自身のフェイクドキュメンタリー作品『道/子宮で映画を撮る女』で、『萌の朱雀』撮影時の河瀬直美と思われる自主映画出身の「痛い」女性監督とスタッフとの軋轢を描いたり、その後も企画でショートフィルムを競って撮ったりもしている。(無論、現状を知ってはいたはずだが)改めて、関わりのある河瀬の名前が出たことで、スイッチが入ったようにも見えた。
講義後、講師の矢田部、安岡卓治(映画プロデューサー)らに話を聞く3人のもとに、やはりここで講師をしている天願大介が現れる。
山田も出演している『十三人の刺客』(10)の脚本家であり、パルムドールに輝いた『うなぎ』(97)の脚本も手がける天願は、『うなぎ』の監督・今村昌平(この学校の創始者)の息子でもある。カンヌ論を皮切りに、日本映画の惨状を饒舌に嘆く。
カンヌに行けるコツは?
・一般論としてカンヌの人はハリウッドが嫌い。憎悪している。
・不親切に作る。説明しない。作家の中にある整理されていないものが出てこないとダメ。
・観客にむけてサービスするエンターテイメントではなく、原型のまま出てこないとダメ。
・直接的なメッセージを入れた方がいい。
・嘘でもいいから現実の酷さを誇張する。バランスを崩す。
今の日本映画がコンペに行けなくなったのは?
・みんな同じことを経験して同じ価値観を共有してるから、小さな価値観が楽しい→「大喜利」が好きと表現。
・これは体力がなくなった年寄りの遊びに他ならない。→日本映画はフィジカルが弱い。
・微細な大喜利ゲーム・センス合戦は、国内では評価されても、同じものを共有していない「外行ったら一撃で倒されてしまう」
・日本映画に限らず、日本全体がその傾向がある。
・業界のルールを守りすぎている。もっとひどい目にあって作らないとダメ。
制作委員会方式を捨てて成功した『シン・ゴジラ』や、クラウドファンディングを生かして作られた『この世界の片隅に』が、「今の日本映画」としてどう位置づけられるのか興味はあるものの、このままなら、ただの現在の日本映画を嘆くインタビューを聞かされるだけの回であっただろう。
しかし、真面目に天願が映画論を語っている際、内容よりも気になったのは、傍に転がる芦田のランドセルだ。
なぜプロとして覚悟をもって参加している芦田が、一方で常にランドセルを背負っているのか。いくら現役の小学生だからといって、仕事中ずっと二宮金次郎よろしくランドセルを背負っている必要はないはずだ。
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