考えるな、感じろ――「デヴィッド・ボウイ」という宇宙をめぐる探検
#オワリカラ #偏愛文化探訪記
■「考えるな、感じろ」
さて、『DAVID BOWIE is』展では、この深遠なパーソナル宇宙を旅しようという勇気ある探検者に、特殊なヘッドフォンが配られる。これらは特定の展示物に近づくと、展示にまつわる音声や音楽を自動で再生する。最近、さまざまな展示会などでオプションとして採用されているシステムだが、『DAVID BOWIE is』展では、基本的に全員、必ず着用しなければならない。これなしでは成立しないように設計された展示は、画期的であると同時に、実に猥雑だ。
歩いていると次々音が切り替わり、ほかの展示を見ていても、近くの映像の音が再生されて聴こえてくる。この猥雑さ、破廉恥さが、ものすごくボウイらしい。常に変化し、誰よりも時代に「キャッチー」でありながら、誰にも本質をつかませなかったボウイの、その活動が作り上げたつぎはぎだらけの宇宙を、少々質の悪い宇宙船で旅しているようだ。
最大の展示スペースでは、ボウイの音楽がワンフレーズずつ切り刻まれたメドレー、というよりも、ボウイ自身が愛読したウィリアム・バロウズの「カットアップ手法」を用いたようなBGMも流れている。
「SOUND&VISION」と名付けられた巨大なライブの部屋では、四方から別のライブ映像が再生され、それぞれの音声が順番に耳元で再生される。
これらの氾濫する音声は、「理解するな」と言わんばかりだ。
かつては、情報が少ない中での「考えるな、感じろ」だった。『スター・ウォーズ エピソード5/帝国の逆襲』(80年)で、ヨーダが文明のほとんどない森深くで、ルーク・スカイウォーカーにフォースの修行をさせたように。
しかし、いまや情報が氾濫しすぎて、「考えるな、感じろ」になった。多すぎて多すぎて多すぎることが、逆に「無」に近づいていく。
ボウイの代表曲のひとつ「SPACE ODDITY」(69年)の中で、宇宙を遊泳中に消息を絶ったトム少佐のように、虚無の宇宙をさまよう感覚は、無限の可能性の中を泳いでいるようなものなのかもしれない。1980年、ボウイ自身の楽曲「Ashes to Ashes」の中で、トム少佐はジャンキーで、宇宙遊泳は妄想だった、と歌われた。
しかし、それもまた、多元宇宙の可能性のひとつだ。
僕らは常に、可能性の中で生きている。
無限の可能性の中で、意識的な選択と、無意識的な拒否を繰り返して、自分を作っている。
それは、今も宇宙を遊泳するトム少佐の相似形だ。
死してなお、ボウイは教えてくれる。
僕らは、「僕ら内・インナースペース」の宇宙飛行士だ。宇宙は、外だけでなく、内にも無限に広がっていく。
●タカハシ・ヒョウリ
“サイケデリックでカルトでポップ”なロックバンド、オワリカラのボーカル。たまにブログでつづる文章にも定評あり。好きなものは謎、ロック、歌謡、特撮、漫画、映画、蕎麦。
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