引退の成宮寛貴を襲った「10年前の挫折」……赤西仁、瑛太との因縁のめぐり合わせ
#赤西仁 #成宮寛貴 #瑛太
「実際にクスリをやっていたかどうかはわかりませんが、彼は2005年頃に一度、大きな挫折を味わっているんです。もしかしたら、それがきっかけで……と思うことはありますね」(映画関係者)
12月2日発売の写真週刊誌「フライデー」(講談社)でコカイン吸引疑惑を報じられ、9日に芸能界からの電撃引退を発表した成宮寛貴。
「本人はすでに海外にいるそうですし、真相は闇の中。ただ、俳優としては伸び悩んでいたのも事実です」(芸能事務所関係者)
00年に、宮本亜門演出の舞台『滅びかけた人類、その愛の本質とは…』で俳優デビュー後、すぐにCMやドラマで引っ張りだこになった。
「特に02年の『ごくせん』(日本テレビ系)のヒットが大きかったですね。04年の『オレンジデイズ』(TBS系)では、妻夫木聡、柴咲コウに次ぐ3番手で、あの瑛太よりも番手は上でした」(ドラマスタッフ)
そんな活躍を続ける成宮に、主演映画の話が舞い込んできたという。
「それが、10年に赤西仁、北乃きい主演で公開された映画『BANDAGE バンデイジ』です。もともと06年に成宮主演でやることが決まっていたのですが、当時はいろんな事情があって流れたんです。そのとき、彼は楽器もものすごく練習して、赤西と同じように歌手デビューも決まっていたんです。それだけに、初主演映画が流れたのは相当なショックだったようです」(同)
そんな成宮に、さらに追い打ちをかけたのが、『オレンジデイズ』では自分よりも番手が下だった瑛太の活躍だった。
「実は、映画と同じタイミングで、あるドラマの話が彼のもとに来ていたんです。それが篠原涼子さん主演で大ヒットした『アンフェア』(フジテレビ系)でした。事務所から『映画とドラマ、どっちにする?』と聞かれた成宮クンは、映画を選んだそうです。その結果、映画は流れ、断ったドラマはシリーズ化されるほど大ヒットしました。『アンフェア』で2番手に抜擢された瑛太クンの以降の活躍は、言うまでもありません。成宮クンはこれでケチがついたのか、初主演ドラマは10年までありませんでした。12年には『相棒』(テレビ朝日系)に出演していますが、これも半年以上スケジュールが取れる俳優ということで選ばれたので、本人はあまりうれしくなかったと思いますよ」(テレビ局関係者)
当時の成宮を知る関係者は、このときのことを鮮明に覚えているという。
「事務所からは『映画はこういうこともある。だからドラマにしとけばよかったんだ!』と、半ば突き放されたと聞きました。それには、かなりショックを受けていましたね。以降、あまり事務所に仕事のことを相談しなくなったとも聞きました」
10年前の出来事が、彼の命運を分けたのかもしれない――。
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