激しい会話劇『黒い十人の女』で見せる、天才・バカリズムのロジック
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まずは「殺す殺さないかは別にして、風がこの世からいなくなるのはどうか?」と問う。戸惑いながら、「いなくなってくれたらいい」と口々に言う愛人たちに、「だったら、それは自分が殺すのは嫌」ということだと言い、その「嫌」の理由をひとつひとつ解きほぐしていく。
やはり最初に問題になるのは、殺人は犯罪だということ。つまり「罰への恐怖」だ。だったら、完全犯罪ならばどうかと。具体的にそのやり方を指南する。
それでも「自分が殺すこと自体が怖い」と「罪への恐怖」を主張する愛人たちに、佳代は論理的に説得していくのだ。
「風がやってきたのは、10人の女の人生を狂わせる行為」
「言ってみれば10人分の殺人」
「殺さないと、私たちの人生が今後も狂わされ続ける。あくまでも、自分の人生を守るための手段にすぎない」
「ある意味、正当防衛だ」
確かにそうだ、と思わせてしまうのが、バカリズムのスゴいところであり、怖いところだ。
そんな中で浮き彫りになるのは、被害者意識で塗り固まった人も、加害者であるという事実。そして、その加害者意識を最後まで隠す者のズルさだ。全員が被害者であるのと同時に、加害者でもある。まさに「全員狂ってる」のだ。
しかし、ここで単純に全員が納得して殺害に同意する話にしないのが、天才・バカリズムたるゆえん。バカリズムの手のひらで踊らされるように、最後に思わぬ大どんでん返しで、ほぼ全編をかけたこの議論をすべて台無しにする、ある展開が起きる。
それは、積み重ねた理論をいっぺんに無意味なものにするパワーを持つ感情を呼び起こすのだった。
天才・バカリズムが周到に用意したのは、激しい感情の前では、精緻な理論はなんの意味も持たないというロジックだったのだ。
理論 vs 感情の果てに、いよいよドラマはクライマックスに突入する。
(文=てれびのスキマ http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/)
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