「山谷でしか出会えない“顔”があった」青空写真館が収めた“最後の山谷”の男たち
#本 #インタビュー
(c)多田裕美子
――多田さんが山谷の街を撮影してから、15年がたちました。現在、山谷はどのような環境にあるのでしょうか?
多田 いまだにドヤは多いのですが、日雇い仕事も少なくなり、求人は激減。閉鎖してしまったドヤも、少なくありません。高齢化し、働きに出ることができない労働者は、生活保護を受給しながらドヤで暮らしているんです。およそ8割の宿泊者は、生活保護をもらいながら暮らしているのではないでしょうか。
――そんなに多いんですか?
多田 しかし、行政の関係者に話を聞いたところ、昔から山谷の人々は生活保護を受けたがらないそうです。「国の世話にはなりたくない」というプライドがある。だから、仕事もなくなり、路上生活になり、心身ボロボロになって初めて受給する人が多い。その一方で、そんな状況でも受給せず、路上生活を続ける人もいます
――働けなくなっても「労働者」というプライドが、生活保護の受給をためらわせる。
多田 今は福祉やボランティアの方たちが山谷を支えていて、労働者の街から福祉の街に変わりつつあります。孤独な独居老人が多く住む街としての報道も多いですよね。ただ、彼らも、かつては屈強な労働者だった。この本では、そんな男たちが粋がっている姿を残したかったんです。
――では、もし多田さんが、現在の山谷を撮るとしたら何を撮影すると思いますか?
多田 今の山谷の何を撮りたいかは明確には答えられませんが、今の山谷に託したいことはあります。最近は、かつての労働者以外に、生きづらさを抱え、身寄りもなく、ひとりで生きられない人々が福祉施設で暮らしています。山谷には昔から、社会で生きづらさを抱えた人々を受け入れる土壌があるというか、人へのまなざしがやさしいんですね。近年は安宿のおかげで、外国人観光客も増えてきています。時代の変化を受け入れつつ、これからも他者にやさしい街であり続けてほしいです。
(取材・文=萩原雄太[かもめマシーン])
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