誰よりも盤上で奔放に、極太に生きた男の伝説! 松ケン主演のノンフィクション映画『聖の青春』
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怪童と呼ばれ、29歳の若さで亡くなった伝説の男がいた。村山聖(さとし)がその伝説の男だ。広島で生まれた村山は幼少期は野原を駆け回る活発な子どもだったが、5歳のときに難病ネフローゼを患い、以降は入退院を繰り返す人生を歩む。まともに学校に通うことができなかった村山だが、病院のベッドで将棋の本を貪り読み、将棋の心得のある相手を見つけては勝つまで指し続けた。81マスある棋盤の世界では、村山は病身を気にすることなく自由奔放に闘うことができた。病室で過ごす時間の長い村山にとっては、将棋を指すことが外の世界と繋がる唯一の方法だった。やがて厳しいプロ棋士の競争社会に身を投じることになるが、常に死を意識しながら指す村山の将棋は、対戦相手を圧倒し、周囲の人間の心を動かすものがあった。同世代の天才・羽生善生とほぼ互角の戦績(6勝7敗)を残していることからも、村山の凄さが分かる。将棋を指すことで生の輝きを放ち、そして将棋の世界で若くして散った伝説の男に、松山ケンイチは『聖の青春』で成り切ってみせた。
原作は将棋雑誌の編集長を務め、村山を公私にわたって見守り続けた大崎善生の同名ノンフィクション小説。原作小説では村山の生い立ちからプロ棋士になる過程なども詳細に語られているが、高校球児の青春映画『ひゃくはち』(08)で鮮烈なデビューを飾った森義隆監督は思い切って村山の最期の4年間に絞った形で映画化している。阪神淡路大震災に見舞われた1995年、26歳になった村山(松山ケンイチ)は師匠・森信雄(リリー・フランキー)のもとを離れ、住み慣れた大阪のアパートから単身で上京を果たす。すべては生涯最大のライバルである羽生善生(東出昌大)を倒すため。羽生を破って名人位に就く、それが村山の生きる目標だった。『ひゃくはち』でベンチ入りを競い合う球児たちの葛藤をつぶさに描いてみせた森監督は、本作では棋盤上で羽生と村山が知力の限りを尽くして闘う様をけれんみを排して、ストイックに再現してみせる。
森監督に本作のオファーが届いたのは、『ひゃくはち』が公開された直後の8年前。『ひゃくはち』と同様な男くさい将棋の世界に森監督は魅了された。プロ棋士たちの対局は「頭脳の殴り合い」のように思えた。オファーを受けた森監督は29歳で、ちょうど村山が亡くなった年齢だった。『ひゃくはち』で念願の監督デビューを果たしたばかりだった森監督には、名人を目指して遮二無二生きた村山がその夢を叶える一歩手前で病魔に倒れたことがあまりにも痛切に感じられた。将棋会館がある千駄ヶ谷に引っ越して将棋道場に通い始めるほど、本作の映画化に情熱を注ぐ森監督だったが、将棋という地味な印象を与える題材ゆえに製作は難航。クランクインするまでに7年の歳月が流れ、その途中で宇宙飛行士になる夢に突き進む兄弟を主人公にした『宇宙兄弟』(12)を監督する。だが、7年の歳月は無駄ではなかった。外見を近づけることで演じるキャラクターの内面まで自分のものにする松山ケンイチが『聖の青春』の映画化を聞きつけて、出演を逆オファーしてきた。松山ケンイチはちょうど29歳だった。
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