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日刊サイゾー トップ > インタビュー  > 『この世界の片隅に』監督が語る

貯金ゼロ目前、食費は1日100円……苦境極まった片渕須直監督『この世界の片隅に』は、どう完成したか

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■原作者・こうの史代、主演・のんとの“手紙”のやりとり

──完成までの過程で腹が立ったことも、うれしいこともあったのではありませんか?

片渕 腹が立ったことはありません。もっともうれしかったのは、こうの史代さんに出会ったことと、のんちゃんに決まったことです。

ほかでも話していますが、こうのさんが僕の「作品を映画にしたい」としたためた手紙を枕の下に敷いて寝てくれたというのが、うれしかった。

同時に僕も、こうのさんから、私は『名犬ラッシー』(1996年にフジテレビ系「世界名作劇場」で放送された片渕監督作品)が大好きで、すごく運命的な出会いだというお手紙をもらって、うれしかったです。

また、のんちゃんに出演をお願いしたときも、やはり手紙をもらいました。自分は「のんちゃんにやって欲しいけれど、まず読んでください」と原作の単行本を渡しました。そうしたところ、手紙が届きました。「原作を読むまでは戦争物と身構えていましたけれど、これはすごく自分にやる意味があって、すずさんを演じてみたいと思ったので、私にやらせて頂けるのでしたら、本当にうれしいです」と書いてありました。そのときも、すごくうれしかった。仲間をもう一人得られたような気がして……。

──お話を伺っていて、またさまざまなメディアの記事を読んで思うのは、制作陣や出演者の誰もが、仕事でやっている感じではないということです。どんどん仲間を増やして、一緒に作っている感じがあります。クラウドファンディングに参加した人も含めて、すべてがそうです。

片渕 お互いに理解し合えるんだなと、思う瞬間の繰り返しでした。なんか、のんちゃんと初めて顔を会わせたときに「やっと会えた」という気持ちがありました。こうのさんは『名犬ラッシー』を観ていてくれたし「運命」とまで言ってくれた。一人で映画を作ったなんて感じはまったくありません。

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■宮崎駿監督への思い

──かつて、監督自身が「『名探偵ホームズ』脚本の『片渕須直』というのは、あれは宮崎駿のペンネームだろう」くらいにいわれていた。自分の存在なんか、無に等しかった。(http://www.style.fm/as/05_column/katabuchi/katabuchi_030.shtml)とも記されています。それが、今では「ポスト宮崎駿」と評する人もいます。ご自身では、「追いついた/越えた」という気持ちがありますか?

片渕 いや、もうジャンルが違ってきた感じがしています。宮崎さんは空想でモノを描く人なのだと思っています。空想の中で、自分が理想だなと思うものを描く人。僕は全然違うタイプのものづくりのほうに移行したなと思っています。

──過去、越えたいという意識をお持ちだったのではないですか?

片渕 脚本を担当した『名探偵ホームズ』の頃には、宮崎さんのやろうとしていることはトレースできました。こうやるんじゃないかなと思っていたら、その通りに絵コンテを起こしていた。その瞬間は、同じ土俵に乗っていた感じはありますが、そこから先は宮崎さんの方が、違う道に歩み出ていかれた。今ではもうかなり道が違うんじゃないかなと思っています。

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