迷い込んだのは“秘境”で“魔境”だった!? 藝大生のヘンテコな青春『最後の秘境 東京藝大:天才たちのカオスな日常』
#本
本の帯に“前人未到、抱腹絶倒の探検記”という興味をそそられる煽り文句があり、恐る恐る『最後の秘境 東京藝大:天才たちのカオスな日常』(新潮社)を読み始めた私にとって、予想だにしない事実が待ち構えていた。
そこには前人未到の場所も、腹を抱えて笑うべき部分もなかった。それどころか、驚くべきことなどどこにも存在してはいなかったのだ。より正確に言えば、日本大学藝術学部を卒業した私が普段身を置いている日常に酷似したものが“カオスな日常”と呼ばれてしまっていた。
探検隊のつもりでいたらそうではなく、探検される先住民の側だったのだ。カオスの中で普通に呼吸をしていれば、当然のことながらそこがカオスであると自覚するきっかけは与えられない。麻痺していたのだ。
本書は、藝大生の妻を持つ作家の二宮敦人が、藝大生の生態に興味を持ち潜入した東京藝大で出会った若き天才たちの青春をしたためた一冊。
私にとって、この本に登場する中で立場として最も近い人物は、“体に半紙を貼り始めたり”、授業で使用したガスマスクのフィルターを“台所に置いたり”して、日常的に二宮へ衝撃を与え続けている妻、その人である。
率直に言って、私だってそれぐらいやりかねないな、と思った。世の芸大生、芸大の卒業生にとっては、そんなことで驚くのか、ということに改めて新鮮に驚く本となっている。出てくる学生はいずれも、自らの専門分野に真摯に取り組んでいる者ばかりだ。それでもどこかたがが外れている、世間の常識からは逸脱していると感じるのであれば、それは東京藝大がおかしいのではなく、大学で芸術を学ぶということ自体がそもそもどこかで滑稽さを孕んでしまうという証明に他ならない。芸術大学そのものが秘境なのだ。
もちろん、普段接しない世界の未知の部分に触れられるという楽しさは、随所に仕掛けられている。例えば、工芸科の漆芸専攻。漆がカブれやすいのは知っていたが、学内バレーボール大会で“漆芸専攻がトスしたボールで、他の専攻の人がカブれる”ことさえあり、「近くに座んないで」と疎まれ、端的に言って迫害されているというのは、半ば冗談であるとしてもなかなかのエピソードである。普段完成品しか目にしない者にとって、漆がそこまでの破壊力を備えている素材であることは、想像の埒外にある。
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