てれびのスキマ×太田省一特別対談「芸人はなぜ、“最強”になったのか?」
#テレビ #インタビュー #てれびのスキマ
太田 お笑いこそ至高、みたいな考え方は、世代的に染み付いていますね。でも今、その時代がある意味、ひと巡りしたというか、時代が変わりつつあることを、この本を書く中で感じました。世の中の雰囲気が、テレビに対して冷ややかになっている部分がありますよね。80年代くらいからテレビでやっていたバラエティ的なお笑いの世界は衰えていないけど、それを世間が一緒になって面白がる熱気がなくなってきましたよね。
スキマ そのことは、本書でも「内輪受け社会」という言葉を使って説明されていますが、かつては、世間がテレビの内輪に入り込んでいた。だから少々、ムチャをやっても許されていた。けれど、今は外側から常識的な目で判断され、ちょっとしたことでクレームなどにつながってしまっているように感じます。
太田 そうですね。内輪みたいなものがピークだったのは、フジテレビの『27時間テレビ』で、さんまさんの愛車破壊をやった頃だと思います。間違いなく、今やったら大バッシングでしょう。でも、当時僕らは、あれに熱狂したわけですよね。実際には参加していないわけですけど、一緒に見ているというだけで、参加している気分になった。
スキマ 自分がやっているわけでもないのに、なんだか誇らしくなったりしてましたよね(笑)。
太田 バブル崩壊以降、一致団結していたみんなが、一人ひとりになった感覚が強まったと思うんです。そうした中で、そういうものに乗れない人たちがたくさん出てきた。それはテレビとの関係だけではなく、人と人との関係もそうで、それまで総中流意識の中で、以心伝心で自然とコミュニケーションが成立するというのが日本の社会だったんです。けれど、90年代から現在に近づけば近づくほど、格差が広がり、コミュニケーションは自分で身に付け、鍛えなければいけないものになった。そうすると、芸人さんはそれまでとは別の意味で、ある種のお手本になっていく。過酷になっていく日本の社会の中で生きていくには、コミュニケーション力が必要不可欠になる。ふと、われわれの周囲を見渡したときに、それを一番うまくやっているのは芸人さんだったんです。
スキマ 確かに。言われてみればそうですね。象徴的な芸人って、誰ですか?
太田 一番わかりやすいところでいえば、ロンドンブーツ1号2号の田村淳さん。人を話術とかで動かしながら、自分の望むような結果に持っていけるような“コミュニケーションの達人”としての芸人という側面がクローズアップされだしたんです。それは、私たちの日常と近いところで芸人を捉えているっていうことですよね。
スキマ 太田さんは『中居正広という生き方』(青弓社)などを書かれている通り、アイドルにも深い造詣をお持ちですが、そうした芸人の側面は、SMAPのようなアイドルに関しても通ずる部分があるのではないですか?
太田 アイドルはまだ、ライブやコンサート、いわゆる「現場」の比重がすごく高いんですが、SMAPはその中でも別格だと思うんです。テレビにあそこまでフィットして、テレビの歴史を作ったという存在は、アイドルには今までいなかったし、これから出てくるのも難しいと思いますね。ある種、特殊なケースだと思います。
僕は、テレビの本質って「バラエティ」だと思うんですよ。つまり、いろんなジャンルがあるわけだけど、ジャンルがないジャンルっていうのがバラエティ。最終的に、なんでもありになっていくんです。なんでも受け入れるし、なんでもできるっていう楽しさがある。アイドルにしても芸人にしても、バラエティという、なんでもありな空間に入っていくことは必然で、SMAPがテレビを通じてそういう存在になっていったっていうのは、大げさにいえば、戦後日本における大衆的な娯楽とか文化の世界におけるひとつの完成形なんだと思います。
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