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日刊サイゾー トップ > インタビュー  > 芸人はなぜ、“最強”になったのか?
『芸人最強社会ニッポン』発売記念

てれびのスキマ×太田省一特別対談「芸人はなぜ、“最強”になったのか?」

IMG_0452_.jpg太田省一氏(左)とてれびのスキマこと戸部田誠氏(右)

 日テレ『スッキリ!!』加藤浩次、フジ『ノンストップ!』設楽統、あるいは、日テレ『Going! Sports&News』上田晋也など、いまや芸人が情報番組やスポーツ番組の“顔”を務めることは珍しくなくなった。テレビだけではない。政治、文学、芸術などの分野においても、どこもかしこも芸人、芸人、芸人だらけ。一体、いつからこんなことになったんだっけ?

 そんな芸人“最強”時代を、『中居正広という生き方』(青弓社)の著者である社会学者・太田省一氏が、戦後の日本人の深層心理と芸能史からひもとく『芸人最強社会ニッポン』(朝日新聞出版社)を上梓した。高度経済成長とともに育まれた「テレビ文化」と「芸人」の切っても切れない関係に、テレビっ子ライター・てれびのスキマが迫る!

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てれびのスキマ(以下、スキマ) 「どこもかしこも芸人だらけ!」という帯が、見事に現在のテレビを表していますが、『芸人最強社会ニッポン』では、「芸人万能社会」という言葉が重要なキーワードになっていますね。

太田省一(以下、太田) 歴史をさかのぼると、80年代のビートたけし、タモリ、明石家さんまの「お笑いBIG3」の登場がターニングポイントとなって、芸人は憧れの職業のひとつになっていきました。たけしさんたちが、お笑いが知的で誰にでもできるものではないということを啓蒙していった結果もあって、芸人が尊敬の対象となり、地位が上がっていった。

 それが前提にあって、芸人がお笑いの分野に限らず、活躍し始めました。それまでも音楽や演技の分野に芸人が出ていくことはあったんですが、そういう場合、芸人をやめて、そちらの分野に行ってしまうことが多かった。だけど、たけしさん以降、芸人をベースにしたまま、他ジャンルに出ていくのが普通になりました。むしろ、芸人であるっていうことが、すごく価値を持つようになった。それが、90年代から現在に至る中で拡大していったように僕には見えたんですね。芸人であることや芸人が持っているスキルが、なんにでも応用できてしまう。それが「芸人万能社会」です。

スキマ かつては、芸人が他ジャンルに行くと「芸人のくせに」って言われてましたけど、今は当たり前すぎて、ギャグ以外でそんなこと言う人はいませんもんね。この本で、ちょっと意表を突かれたのは、日本が「笑いを中心にしたコミュニケーションを重視している社会」だという指摘です。言われてみれば確かにそうなんですが、とかく「日本人は真面目で勤勉」で、コミュニケーションは苦手と言われることが多いですよね。

太田 それは、今回強調しておきたかった部分ですね。戦後の歴史を大きく捉えつつ、芸人さんがどういうポジションにいたかを見ていくというのが、本書のコンセプトのひとつでした。「日本人は真面目で勤勉」というイメージは、直接的にはおそらく高度経済成長期に出来上がったものだと思うんです。戦争に負けて、そこからなんとか豊かな社会を作ろうと、国民が一致団結した。そのためには真面目に働くしかないし、実際にそれが豊かさとして自分に返ってきた。そのひとつがテレビです。高度経済成長が文化として何をもたらしたかといえば、やっぱりテレビなんです。そして、テレビからわれわれが受け取った一番大きなものが、「お笑い」だと思うんです。

スキマ 欽ちゃん(萩本欽一)や、ザ・ドリフターズですね。

太田 僕は1960年生まれですけど、彼らの登場で大きく変わったような感覚がありました。社会の真面目な雰囲気を感じつつ、実はテレビで不真面目なものばっかり見ていた(笑)。だから、僕らの世代が社会の中心になったとき、みんな不真面目というか、そういうものが好きな人たちばかりだったんです。僕らはずっと、「面白い人」になりたいと思っていた。人を笑わせられる人になりたいって感覚は、ごく自然なものでした。だから、「BIG3」が出てきたのは、時代的な必然だったんだと思います。

スキマ 「楽しくなければテレビじゃない」といった、おもしろ至上主義的な価値観は、テレビの中だけではなかったということですね。

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