後藤健二さんを惨殺したISの処刑人「ジハーディ・ジョン」が生まれるまで
#本 #イスラム国 #IS
MI5によって生活をむちゃくちゃにされた彼は、人生の再スタートを求めて祖国・クウェートに渡る。コンピュータ・プログラマーとしての仕事を見つけ、クウェート人女性との婚約も果たしたエムワジ。しかし、またしても、彼の幸福はMI5によって打ち砕かれた。ロンドンに一時帰国したエムワジは、クウェートに向かう飛行機の搭乗時に、テロリズム法のもとに取り調べられ所持品を没収。さらに、警察官に暴力を振るわれ、イギリスからの出国を禁じられてしまったのだ……。一度ならず二度までも幸福を奪われたエムワジが、怒りに打ち震えたことは想像に難くない。
もちろん、諜報機関としては、イスラム過激思想に触れる人間を監視する必要がある。しかし、その行動は、「嫌がらせ」と言えるような行き過ぎたものだった。ロンドン時代のエムワジは、バーカイクのインタビューに対して「MI5に人生を台無しにされた」と嘆く、紳士的で礼儀正しい青年だったという。
13年、厳しいMI5の目をかいくぐってイギリスを脱出したエムワジは、失うものもないジハーディストへと成長していた。ISに参加すると、人質となった西洋人たちに拷問を加え、カメラの前で人質たちの首を斬り、世界中を震撼させる。ロンドンにおいては、不良のケンカ程度しか暴力の経験がなかった彼は、ムスリムとしてのプライドや、過激思想、そして、MI5に対する恨みなど、さまざまな要因が絡み合って、「ジハーディ・ジョン」へと生まれ変わったのだ。後藤さん、湯川さんをはじめ、カメラの前で殺害した人質や捕虜は数十人にも及ぶ。
アメリカやイギリスなど、対テロ戦争を戦う西側諸国から、最重要指名手配犯として血眼で捜索されたエムワジは、15年11月12日、アメリカ軍のドローンからの空爆を受け、殺害された。
イギリス政府は、イスラム過激主義に対して「ゼロトレランス(不寛容)」という厳しい態度をもって臨んでいる。テロの防止という掛け声のもとに、ムスリムやムスリムコミュニティに所属する多くの人々を「テロリスト」と見なし、時には人権侵害も辞さない振る舞いに及ぶ。エムワジが殺害された翌日には、フランス同時多発テロが起こり、「非常事態宣言」のもとに1万人の「要注意人物」が取り調べられた。現在も、ヨーロッパ各地で「テロリスト」の汚名を着せられているムスリムたちは、西側政府や市民への不満を募らせている。今後も、ヨーロッパ中で、第2・第3のジハーディ・ジョンが誕生するのは、時間の問題だろう。
(文=萩原雄太[かもめマシーン])
サイゾー人気記事ランキングすべて見る
イチオシ記事