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日刊サイゾー トップ > 連載・コラム  > 視聴者の言葉をつなぐ、さだまさし
週刊!タレント解体新書 第47回

視聴者の言葉をつなぐ90分間のDJショー NHK総合『今夜も生でさだまさし』(6月29日放送)を徹底検証!

 これは、明らかにアドリブではない。間違いなくさだは事前にこのハガキを読んでいるし、その上でこのハガキを選び、このタイミングで読もうと決めているはずだ。そしてそこにこそ、さだまさしというディスク・ジョッキーの選曲センスが現れている。バカにせず、嘲笑もせず、何もメッセージが書かれていないハガキを港区の稲見さんがわざわざ番組まで送ってきてくれたということに敬意を払いながら、その現象自体を楽しんでいる。それを稲見正子さんも含めた視聴者とともに、共有しようとしているのだ。

 冒頭に戻れば、一般的にテレビ番組とは多くの人たちの手によって作られているわけだが、それでは本当の意味でテレビに必要なものとはなんだろうか? プロの技術だろうか? ある程度の予算だろうか? それとも時間なのか? どれも違う。テレビに最も必要なのは、視聴者だ。さだと視聴者がいれば、この番組は成立する。さだはそれを視聴者と一緒になって実践しているのだ。だからそこには、テレビの本来の豊かさがある。視聴者の意見が正しいかどうかではなく、生放送で自分のハガキが読まれ自分の名前が呼ばれるという、根源的な喜びにさだは寄り添っている。それを見て「さだはテレビを信じているのだ!」と言うこともできるだろう。あるいは逆に「さだは今のテレビに対する批判を行っているのだ!」と言うこともできる。どちらも間違ってはいないのだろうが、しかし実は、そんなのはどちらだっていいのだ。何が正しいかどうかではない。さだがいて、視聴者がいる、ただそれだけでいい。テレビなんてものは今までずっとそんなものだったのだし、これからもきっと、そんなものであり続けるのだろう。

 ここ最近、テレビとネットの断絶は延々深くなり続けている。テレビはネットユーザーに代表される視聴者層をあまりにも雑にカテゴライズし、ネット側はテレビに代表されるマスコミを単一化する。それが楽しいのならそれはそれでいいのだろうが、しかしわざわざせせこましく生きる必要もないだろう。テレビがある。視聴者がいる。それだけで、本当はとても豊かなのだ。『今夜も生でさだまさし』はこれまでも、これからも、その一番大切なことだけをきっとつぶやき続けるのだろう。NHK総合の深夜枠という、世界の中心であり、片隅でもあるという不思議な場所から。

【検証結果】
 補足的になるが、この番組における出演者がさだまさしを含めて3人であるという点は重要だろう。さだひとりであれば、さだとハガキとでの意見のやり合いになってしまう。さだの隣にもうひとりだけいたとしても、さだはハガキ側か、もうひとり側のスタッフ側に立たなければならなくなる。だが、もうひとり加えて、現状のようにさだともう2人がいれば、敵対関係は必要なくなり、そこで雑談が生まれる。この番組は低予算、低人数をコンセプトとして求めているが、それでも出演者は3人いないといけないというのは重要な点だ。正しさはいらない。少なくともさだが求めているのは、正しさではなく、雑談そのものなのだろう。
(文=相沢直)

◆「タレント解体新書」過去記事はこちらから◆

●あいざわ・すなお
1980年生まれ。構成作家、ライター。活動歴は構成作家として『テレバイダー』(TOKYO MX)、『モンキーパーマ』(tvkほか)、「水道橋博士のメルマ旬報『みっつ数えろ』連載」など。プロデューサーとして『ホワイトボードTV』『バカリズム THE MOVIE』(TOKYO MX)など。
Twitterアカウントは @aizawaaa

最終更新:2016/07/04 18:00
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