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日刊サイゾー トップ > インタビュー  > 明るい安村がブレークを振り返る
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ネガティブ発言連発! “ダークな”とにかく明るい安村が振り返る「はいてますよブーム」

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――オリジナルの形から、徐々に変えていったのですか?

安村 曲の長さとか、しゃべり方とか、だいぶ変わりましたよ。最初は、スギちゃんみたいなしゃべり方だったし。「なんだぜぇ?」みたいな(笑)。あと、エロい感じでやってた。ストリップ劇場みたいな。

――今とは、だいぶ違いますね。

安村 自分のライブの時は照明をピンクにしたりできますけど、それができない場所もある。そういうところでエロい感じは難しいし、そもそもウケなかったので、ちょっとアメリカ人のショーのような感覚でやり始めたんですよ。

――それがハマったと。

安村 そうですね。あと、周りの芸人さんが、いろいろツッコんでくれたんですよ。「はいてないんじゃない?」「ヤバイヤバイ」「……はいてますよ」「あ~よかった」みたいな。ありがたかったですね。

――安村さんは14年にコンビを解散されて、15年にブレークですから、一見とんとん拍子に見えてしまうのですが、ご自身の中では、どんな気持ちで日々を過ごしていたのですか?

安村 そんな簡単じゃないですよ。ネタもいろいろ試しましたし、ダメでしたし。お金もないし、バイトしてましたし。2年やってダメだったら、やめようと思っていました。僕、プロ野球が好きでよく見ますけど、僕と同い年の選手は、ほとんどチーム最年長とか大ベテランなんですよ。全然若手じゃない。

――安村さんは、松坂世代ですか?

安村 松坂(大輔)選手より一つ下ですね。

――ソフトバンクの和田(毅)投手も日本に戻ってきて頑張ってますし、久保(康友)もベイスターズでローテーションを守ってますし。

安村 そうですね(笑)。

――でも、どの芸人さんもおっしゃいますね。30歳は、ひとつの節目だと。

安村 僕もこのブレークがなかったら、どうしていたかはわかりません。好きなことだけやって、ダメだったらやめようと開き直ってたのが、よかったかもしれないですね。

――コンビからピンになって大変だったことは、なんでしょう?

安村 一人だと、当たり前だけど、ツッコミがいないじゃないですか。自分が思っているものがなかなか伝わらないのがキツかった。面白さがお客さんに伝わりづらい。だから、すごくわかりやすくやらなきゃいけない。

――抵抗はなかったですか?

安村 ありましたよ。でも、全然ウケないんで。変えていくしかないですよね。

――ブレークから今少し時間がたって、「はいてますよ」のネタに対する思いは変わりましたか?

安村 長いターンでやりたいなと思っていますけど、それが難しいのもよくわかっていますから。

――ミュージシャンなら、ヒット曲を長く何度も演奏できるのに。

安村 そうですよね! 芸人の場合は「まだやってんのかよ」になっちゃう。悲しいですよね。僕自身は、これからこの世界でどうやって生き残っていこうかとかはあまり考えていなくて、自由にやっていこうかなと。

――今だから自由にできる、という感覚ですか?

安村 無理やりめちゃくちゃ働いたりみたいなことはもうやめて、休んで旅行に行くとか。家族とね。

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