日米通算で最多安打記録更新も、チチロー VS イチロー夫妻の断絶は続いていた!
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6月14日に、フライデーの編集部員から電話が掛かってきた。舛添都知事が2013年と14年の正月「竜宮城スパホテル三日月」に家族と宿泊したにもかかわらず、政治資金の「会議費用」で処理していた件で聞きたいというのだ。
舛添氏は会議の相手は当初「事務所関係者」としていたが、第三者であるヤメ検による「調査報告書」では突如「元新聞記者の出版社社長」となり「付き合いが長く、かねてより相談相手としていた出版社社長(元新聞記者)を客室に招き、政治家としての今後について相談した」(報告書・文春より)とある。
この人間は競馬専門誌の記者で、サンケイスポーツに移り、週刊ギャロップが創刊されると初代編集長になった芹澤邦雄という人だが、昨年死んでいる。その葬儀で弔辞を読んだのが大橋巨泉氏の弟さんだが、芹澤氏について知らないかというのである。
先方は、大橋巨泉と競馬、舛添とも一時付き合いがあったお前なら知っているだろうと考えたようだ。週刊ギャロップにはインタビューされた記憶があるが、残念ながら芹澤という人は知らないので、お役に立てないと言って電話を切った。
その彼が、競馬評論家の井崎脩五郎氏が芹澤氏について書いた追悼の文章を送ってきてくれた。井崎氏が45年前、競馬専門誌「馬」に入社したとき、差し向かいの席に座っていたのが2歳年上の芹澤氏だった。
「芹澤さんは若いころ、家業である質店を継ぐために、新宿の有名質店に鑑定の修業に出されたのだが、近くに場外馬券売り場があり、おまけに同僚が競馬好きで、そこから一気に競馬にのめり込んだ。将来の進路を変更し、選んだ道で一家をなした」(井崎氏)
舛添氏も競馬好きで、地方競馬に馬を所有していて、大井競馬場で行われる「東京ダービー(G1)」を勝ったこともあるというから、相当な数を所有していたのではないか。毎月の飼い葉料だけでもバカにならないと思うが、そのカネも「政治資金」から払っていたのだろうか。
週刊ギャロップにも連載をしていて、それをまとめ『競馬改国論』(サンドケー出版局)として出版している。
今週の文春は、芹澤氏と舛添氏が「三日月」で本当に会っていたのだろうか、会っていないとすれば、なぜそのようなウソをついたのだろうかと追及している。
文春では、2人をつないだのは都内で翻訳会社を経営する某女性だと書いているが、ここでは詳しいことは省く。この女性、最後まで舛添氏が相談していた「公私ともに支える数少ないブレーン」(舛添氏の知人)だそうだ。この女性は文春のインタビューに答えて、その日会っていたのは芹澤氏(文春ではSさん)の可能性が高いと暗に認めるような発言をしている。
だが、サンスポの後輩記者は、芹澤氏は極度の出不精で、競馬場にさえ足を運ばなかった人だから、木更津(ホテルのあるところ)まで行くはずがないと語り、「故人のSさんを利用すれば嘘がばれないと思っているのでしょうが、本当に酷い」と怒る。
芹澤氏の内縁の妻も、正月は両親の墓参りで横浜に帰っていたはずだから、「会議をした可能性はゼロです」と断言している。
文春へのささやかな抵抗だったのだろうか、舛添氏は発売日の前日に辞職を表明し、切望していたリオ五輪への出席も夢と消えた。
粘る舛添に引導を渡したのは安倍官邸だった。あまりの「舛添辞めろ」の世論の盛り上がりに、このままでは参議院選に重大な影響が出ると不安になったので、急遽引きずり下ろしたのであろう。
安倍首相には、参院選の嫌な思い出がトラウマになっているのだ。惨敗、辞任の悪夢だ。
現代は、舛添のせいで自民党議席減の衝撃データをやっている。
舛添ショックで、自民党比例の票が500万票減るという予測が党内で流れていると、自民党の幹部議員が話している。もし自民党票が500万減となった場合、参議院の情勢はガラッと変わるというのだが、仮定の上での推定だから、ここではそれ以上は触れない。
惨敗まではないだろうという予測が多いが、もし第一次安倍政権のもとで行われた07年夏のような参院選になれば、安倍辞任は必至であろう。
18歳の大量の若い票がどこへ行くのか? 自民党へは流れないと思うのだが、野党側はもっと、こうした層を取り込むための戦略を考えるべきである。とにもかくにも、今後の日本の行方を決める「歴史的な選挙」になることは間違いないのだから。
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