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日刊サイゾー トップ > インタビュー  > 森達也監督『FAKE』インタビュー
『FAKE』公開記念ロングインタビュー

二極化する世界への違和感──『FAKE』森達也が“ゴーストライター”佐村河内守を撮ったワケ

――そういう症状について、映画の中では、あまり細かく解説はしていないですよね? 解説があったほうが、わかりやすいかなとも思うのですが。

 もちろん、わかりづらいよりはわかりやすいほうがいいけれど、わかりやすさを求めるベクトルは、四捨五入や単純化と同義です。慎重さは必要です。

 実際に存在するものしか撮れないからこそ、ドキュメンタリーにおいてはメタファーが重要だと僕は思っています。つまり暗喩。何かを撮りながら、違う何かを想起させる。その意味で、この映画では、聴覚障害は重要な要素ではあるけれど、メタファーの材料でもあるわけです。それを正確に理解することへの優先順位は、必ずしも高くはない。

 最初に撮影を依頼したとき、同時に「あなたの名誉を回復する気は全然ない。自分の映画のために、あなたを利用したい」と僕は言いました。彼も、それは納得してくれました。そもそも感覚は、他人には絶対に共有できない。僕が見る黒色は、誰かにとってピンク色かもしれない。正解は誰にもわからない。どこまで行ってもグレーゾーン。そこを白黒ハッキリさせるということが、この映画のテーマじゃないので。

――森さんの表現のために佐村河内さんを利用するということですが、映画の中で、いろいろと演出をしているじゃないですか。「アレをやってください」「コレをやってください」って。ドキュメンタリーを撮るにあたって、撮影者の作為が入ってくるのはアリだと思いますか?

 全然アリというか、それが当たり前です。辞書で「ドキュメンタリー」って引くと、演出や脚色の一切ない客観的な……どうのこうのって書かれていますけど、ならばそれは監視カメラの映像です。映画は作品ですから、僕の作為や視点は当然反映されます。

 ドキュメンタリーの演出は、化学の実験に似ていると思います。ここにフラスコがある、そこに被写体を入れます、それを火であぶったり冷却したり振ったり、場合によっては、僕がカメラを持ってフラスコの中に入っていったりもする。その過程とか相互関係を描くのがドキュメンタリーだと思っています。そもそもカメラが撮れるのは、カメラによって変容した事実です。人は誰だって演技します。だから、こっちから仕掛けるのは当たり前のことです。客観的にカメラを回しても、作品になるわけがない。というか、主観がなければ、編集はワンカットもできないし、カメラもフレームを決めることはできません。

――だからこそ、森さんから「アレをやってください」と提案しているところまで含めて映画の中に入れているんですね。

 だって相互関係だから、僕の座標軸も示さなくちゃいけない。『A』も『A2』も、全部その座標軸を出しているはずです。でも、テレビのつまらないドキュメンタリーって、作為や主観を隠して、カメラをないものとしてしまう。そのほうが客観的に見えるから。でも、客観的な映像などありえない。

――新垣さんが浮かれたテレビ番組に出ているのを佐村河内夫妻が見ているシーンなんかも、森さんからの提案なんでしょうか? 佐村河内さんからしたら、あまり見たくない番組だと思いますが。

 意図的に見せようとしたわけじゃないですが、あの頃は、ほぼ毎日のように新垣さんがテレビに出ていたんで、撮影している中でテレビをつけると、相当な確率で新垣さんが出てくるんです。確かに佐村河内さんは「あまり見たくない」とは言っていましたけど、「見ましょうよ」くらいの提案はしましたね。

――佐村河内さんが出演を断ったバラエティ番組に、代わりに新垣さんが出ていじられまくっているのを、暗い部屋の中で佐村河内夫妻が見ているのは、いろいろと印象的なシーンでした。

 映画の中ではフジテレビのバラエティ番組がたまたま俎上に載っていますけど、メディアに関わっている人だったら、あの人たちと自分との違いなど口にできないはずです。僕だってあの立場なら、きっとああいうことをやりますよ。本人に悪意はなくても、表現は絶対に誰かを傷つけるんです。テレビの場合は、忙しすぎてルーティーンになっちゃってますから、そればっかり考えていたら前に進めなくなるというのはわかりますけど、たまには自分たちが人を傷つけているんだっていうことを意識したほうがいいと思います。

 僕がテレビをやっていた時代の先輩たちは、そういう意識があったと思う。「どうせオレたちはハイエナだ」とか「人の不幸を飯の種にしているんだ」などと。つまり、後ろめたさです。メディアに携わるのなら、この意識だけは持ち続けたほうがいい。でも、今はテレビ局が超優良企業になってしまい、その意識がとても淡くなってしまった。後ろめたさをなくしたら、報道は正義になってしまう。それは絶対に違います。

――あのバラエティ番組のほかに、報道番組からの出演オファーがあって、そっちには佐村河内さんが出演したらしいですね?

 その番組では彼のインタビューを、僕から見ても、とても公正に紹介しました。ところが、その番組は、まったく話題にならなかった。誰かを叩いたり、ちゃかしたりする番組は話題になるのに、真摯に彼の言葉を紹介した番組だと全然話題にならない。

――そうなると、視聴率を追い求めるテレビ番組では、そういう言葉を紹介できなくなっちゃいますよね。

 つまり市場原理です。メディアは社会の合わせ鏡として機能する。よく「マスゴミ」などと嘲笑する人がいるけれど、それは自分たちをゴミと言っているに等しいんです。

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