トップページへ
日刊サイゾー|エンタメ・お笑い・ドラマ・社会の最新ニュース
  • facebook
  • x
  • feed
日刊サイゾー トップ > エンタメ > ドラマ  > 『ラヴソング』ナイナイ岡村のテコ入れ

2話連続6.8%ショック! 月9ワーストタイの『ラヴソング』ナイナイ岡村のテコ入れも当然、実らず……

 不穏な空気を察した神代が割って入ると、夏希は神代に「あれはお姉ちゃんの曲でしょ!?」と言い放ちます。神代もたまらず、「俺の曲だよ! あれは俺が作ったんだよ!」と応戦。ささやんの誕生日は台無しになってしまいました。

 で、その後さくらが「先生(神代)が好きです、もう大好きなんです。わたしのこと、どう思ってるんですか?」とか言い出して、神代が「一緒に音楽をやりたい、そう思ってる」と返して、さくらが「わたしはHARUNOさんじゃない」みたいなやりとりがあります。

 夏希が「お姉ちゃんの曲か否か」に固執するということは、さくらの歌が「どんな過去をも凌駕するほど素晴らしい」わけではないということです。さくらが「わたしはHARUNOさんじゃない」と言ってプリプリしているということは、さくらが「何を置いても、この曲だけは歌いたい」と思っているわけではないということです。2人にとって、この曲は別に「感動的」じゃなかったんです。ここまで「さくらの歌はすごい」「この曲はイイ曲」と主張し続けてきた『ラヴソング』が、この第7話にきて、「いや、そうでもねえよ?」「なんだかんだ過去の因縁のほうが重いよ?」「恋愛のほうが重いよ?」と言い出したんです。

 このへんで、このドラマの根底にあったはずの価値観が裏返ってしまった感じです。ストーリー的にも演出的にも「さくらの歌はすごい」「この曲はイイ曲」というところだけはギリギリ外してなかったし、さくらも神代も、音楽を通じて人格が描かれてきたはずなんです。逆にいえば、このドラマが「素晴らしい音楽」に対するリスペクトを失ってしまえば、もうなんでもなくなってしまう。「音楽を通じて心を通わす」と堂々と謳っていたドラマで、音楽が人間関係を裂こうとしている。すごく、根っこが折れた感じがしました。

 しかも、夏希と神代とHARUNOをめぐる過去の云々は雰囲気シーンと断片セリフだけでしか説明されてませんから、いくら仲間が「夏希の気持ち、わかるぜ」と言ったところで、説得力がないんです。さくらの恋心にしたって第3話あたりの「陽性転移かも?」という以外に根拠もきっかけも示されていませんので、説得力がないんです。それくらい想像しろというなら、もう願い下げですよ。あげく、神代はさくらと一緒に作った曲の譜面を破り捨ててしまいます。ちょっとでも、さくらの歌そのものに感動していた視聴者としては、裏切られた感がハンパないです。

 で、案の定さくらのノドに腫瘍が見つかって、第7話終了。どうやら「声を守るか、命を守るか」みたいなことになるんですかね。じゃあもう、吃音じゃなくてもいいじゃんね。
(文=どらまっ子AKIちゃん)

最終更新:2017/06/15 20:00
12
ページ上部へ戻る

配給映画