憲法も、人魚姫も、明治維新も童貞のおかげ!? 世界を動かした「童貞」たち『童貞の世界史』
#本
「童貞」であること。それに対してどこか「不完全な人間」というイメージを抱く人は少なくないだろう。「まだ女も知らないくせに」と揶揄され、「童貞のまま30歳を超えると魔法使いになる」とバカにされる童貞たち。「童貞を捨てる」という言葉に象徴されるように、現在の日本社会では、童貞とはできるだけ早く通過しなければならない人生のステージとして受け止められているようだ。
しかし、そんな我々の固定観念を鮮やかに覆す書籍が刊行された。松原左京と山田昌弘による『童貞の世界史 セックスをした事がない偉人達』(パブリブ)には、世界中で活躍した82人の童貞および処女たちが列挙されている。本書の中から、童貞としてその生涯を閉じた偉人たちを見てみよう。
『純粋理性批判』『実践理性批判』などを記し、ドイツ観念論の祖とされるイマヌエル・カントは、その生涯を通じて童貞を守りぬいた人物。彼は生涯において2度恋に落ちているが、慎重過ぎる態度のために、結婚までに至ることはなかった。女性との社交も巧みで、求愛の手紙を受け取ったこともあるカント。その著作において「男性は女性なくしては人生の満足を享受することができない」と書いているにもかかわらず、ついに女性と親密な関係になることはなかった。カントの著作『永遠平和のために』は、国連憲章や日本国憲法の第九条にも影響をもたらした名著として知られている。そんな「永遠平和」という哲学は、童貞だからこそ考えられたものであり、世界中の童貞たちが誇りに感じるべき事実かもしれない。
また、『人魚姫』『醜いアヒルの子』などを生み出した童話作家・アンデルセンと、『銀河鉄道の夜』『注文の多い料理店』、日本を代表する童話作家・宮沢賢治は、どちらも童貞作家であった。
アンデルセンは、何人かの女性に対して片思いの愛情を抱いたこともあり、自慰行為の記録を日記につけているところからも、性欲がない人間ではなかった。けれども、「デンマークのオランウータン」というあだ名がつけられるほど外見の魅力にとぼしく、また、内気で繊細な性格や潔癖で純粋な価値観も災いし、女性の心を捕まえることはできなかったという。一方、「私は一人一人について特別な愛といふやうなものは持ちませんし持ちたくもありません」「性欲の乱費は君自殺だよ、いい仕事は出来ないよ」と語った宮沢賢治は、その生涯にわたって徹底的に女性の存在を遠ざけた。だが、最晩年には「禁欲は、けっきょく何にもなりませんでしたよ、その大きな反動がきて病気になったのです」と述懐しているように、禁欲的な生活は、彼にとって苦しみにしかならなかったようだ。いずれにせよ、誰もが子どもの頃にその作品に触れたアンデルセンと宮沢賢治。2人の童貞作家の精神が、いまだに子どもたちの豊かな想像力を刺激し続けているのだ。
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