母親による射精介助、タブー視される性教育……世間が黙殺する「障害者と性」の実情とは
#本
日本福祉大学社会福祉学部の木全和巳教授は、模擬カップルによる恋愛のロールプレイングや自慰のマナー、月経・出産といった身体のつくりなど、障害者に対して積極的な性教育を行っている人物。木全氏は、障害者の性教育がタブー視されている現状に対して「たった一度の人生の中で、かけがえのない存在として、人生の主人公として、お互い尊敬し合いながら生きていくために、生と性の学びは欠かせません。学ばせてもらえないこと自体が人権侵害だと私は思います」と、憤りを隠さない。
では、いったいどうして障害者の性は、ここまで抑圧されなければならないのだろうか? そこには、障害者を取り巻く人々の「善意」が存在しているという。
彼らは、障害児に対して、性について知ることなく、ただ周囲から「愛される障害者」に育ってほしいと願っている。性的な欲望を見せず、従順で、他人に迷惑をかけない存在としての障害者は、多くの人に愛されやすくなるだろう。しかし、そんな障害者像は、木全氏によれば「都合のいい障害者」にすぎない。意思を剥奪され、人間として当たり前の性欲すらも表に出さない「都合のいい障害者」ではなく、多くの困難やトラブルに見舞われ、誰かを傷つけたり、自分が傷ついたりしながら、性や恋愛に向き合っていく「愛する障害者」となること。それが本当の意味でのノーマライゼーションを実現するのだ。
日本のみならず、世界中で、障害者の性に対する支援は立ち遅れている。しかし、人間らしく生きていくためには性という問題は避けて通れず、障害者の性的な自立を奪うことは、恋愛、出産など、社会の中で人間として当たり前に生活していく権利を奪っていくことにほかならない。社会のタブーを打ち破り、「障害者と性」が当たり前に認められる世の中となること。そのためには、障害者に対する社会のまなざしこそを、変えていかなければならないのではないだろうか。
その意味で、乙武氏の不倫騒動から学ぶことは少なくない。
(文=萩原雄太[かもめマシーン])
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