生きづらさを感じる若者たちへの新しい福音か? 現代社会の黙示録『アイアムアヒーロー』『太陽』
#映画 #パンドラ映画館
ゾンビものとは異なるが、ヴァンパイアをモチーフにして完全に二極化した近未来社会を描いたのが入江悠監督の『太陽』だ。劇団イキウメを主宰する前川知大の同名舞台を原作にした『太陽』は、高い知能を持った新人類ノクスと貧しい生活を続ける旧人類キュリオとに人類が二分化された世界の物語となっている。感染症によって生まれ変わった新人類ノクスは太陽光線を浴びることはできないが、明晰な頭脳といつまでも若々しい肉体を保ち、洗練された都市生活を送っている。一方、旧人類のキュリオは太陽の下でも暮らすことができるが、旧態依然とした寒村での生活を強いられていた。キュリオの小さな集落で生まれ育った鉄彦(神木隆之介)と幼なじみの結(門脇麦)は20歳になり、ノクスへの転換手術を受けるチャンスが巡ってきた。ノクスになれるのは集落からひとりだけ。故郷を棄ててノクスになることに憧れる鉄彦、自分が育った土地や家族にこだわってキュリオであり続けようとする結たちの葛藤が、往年のATG映画を思わせる人間ドラマとして描かれる。
ゾンビとヴァンパイアはどちらもホラー界のクリーチャーだが、ゾンビが下流社会、労働者階級出身のカラーが強いのに対し、ドラキュラ伯爵の血筋を引くヴァンパイアはどこか育ちのよさやインテリ性を感じさせる。『太陽』ではヴァンパイア=ノクスになることが一種のステータスとなっているが、ただしノクスに一度なるともうキュリオに戻ることはできない。二者択一の選択を大人になる一歩手前の鉄彦や結は迫られることになる。
佐藤監督が『GANTZ』や『図書館戦争』(13)に続いて『アイアムアヒーロー』でも日常と非日常との間で揺れ動く主人公たちを描いたように、『太陽』の入江監督も自分自身の命題に向き合っている。入江監督の代表作といえば、埼玉在住のラッパーたちの悲哀を描いた『SR/サイタマノラッパー』(09)だ。『SR』の主人公たちはライブハウスもCDショップもない地元の寂れた街に残って音楽活動を続けるか、東京に上京して派手にひと旗揚げるかの選択を迫られる。サイタマからTOKYOまでの距離が、『SR』の主人公たちには途轍もなく遠く感じられる。『SR』三部作で若者たちの熱烈な支持を得た入江監督は、インディーズドリームの体現者としてメジャーシーンでの映画づくりに挑むことになった。かつては地元か東京かという二者択一の問題が入江作品の重大なテーマだったが、松竹配給作『日々ロック』(14)以降はメジャーとインディーズとの狭間に立ち、どう自分らしさを作品の中で発揮するかがテーマとなっている。
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