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日刊サイゾー トップ > 連載・コラム >  パンドラ映画館  > 3.11に対するピンク映画の回答
深読みCINEMAコラム【パンドラ映画館】vol.368

3.11に対するピンク映画からの回答。声を失った男の悲痛な叫び『夢の女』『バット・オンリー・ラヴ』

yumenoonnna_01実話からアイデアを得た『夢の女』。40年間にわたって精神病院で暮らしてきた主人公・永野(佐野和宏)は震災をきっかけに退院を果たす。

 多くの犠牲者を出した東日本大震災だが、あの震災によって逆に社会復帰を果たした人もいる。10代のときに統合失調症と診断された男性は、40年にわたって地元・福島の精神科病院での入院生活を余儀なくされた。しかし、福島第一原発事故によって原発近くにあった入院先から他の病院に避難した際、すでに病気は完治していることが判明。男性は60歳になって、ようやく自分の人生を取り戻すことになった。あまりにも皮肉めいた小説のようだが、これは『ハートネットTV』(NHK教育)や『クローズアップ現代』(NHK総合)でも報道された実話。このウソのような本当の話を映画化したのが、かつてピンク映画界で活躍した佐野和宏主演作『夢の女 ユメノヒト』だ。

 佐野和宏はカルト映画『追悼のざわめき』(88)でマネキンを愛する男を怪演したのをはじめ、瀬々敬久監督が札幌テレクラ殺人事件を題材にした『雷魚』(97)などインディペンデント系の作品で存在感を見せてきた男優。出演作は100本を超える。またピンク映画『監禁 ワイセツ前戯』(89)で監督デビューし、瀬々、サトウトシキ、佐藤寿保と共にピンク映画界のヌーベルバーグ“ピンク四天王”と称され、『変態テレフォンONANIE』(93)など17本の監督作を残している。90年代のピンク映画に親しんだ世代には忘れがたい名前である。だが、『熟女のはらわら 真紅の裂け目』(97)を最後に佐野は監督業から離れていく。セックスシーンさえあれば自由な表現が許されていたピンク映画だったが、不景気の風にさらされる中、次第にピンク映画からも自由さが消えていった時代でもあった。

 創作意欲を失った日々を過ごす佐野に追い打ちを掛けるように、咽喉ガンが見つかり、2011年には手術により声帯を失うことになる。監督としても俳優としても声を失うことはあまりにも致命的だ。ところが、皮肉なことに佐野はガンを患い、医者から「5年後の生存率20%」と告げられたことから、猛烈に「生きたい」と願うようになった。そして生きたいという願望と同時に、再び「映画を作りたい」という気持ちが溢れ出した。生きる意欲と創作意欲を取り戻した佐野のもとに、ピンク映画時代の仲間たちが集まった。ピンク四天王の下の世代にあたる“ピンク七福神”のいちばんの若手・坂本礼監督が佐野を福島まで連れ出し、撮り上げたのが『夢の女 ユメノヒト』だった。

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