誰もが生きづらさを抱える世の中で――思い出はなんのためにあるのか?『いつ恋』第9話
#テレビ #ドラマ #高良健吾 #有村架純 #スナオなドラマ考 #いつ恋
この言葉が、どこまで音の胸に響いたのかはわからない。だが、少なくともこの言葉で、音は練ではなく、朝陽を選ぶことを決めたのだろう。朝陽の父親が「自分を一度捨てたことのある人間なんだろうな」と語ったように、北海道のころの音は自分を捨てていた。あきらめていた。一度どころではなく、何度も、何度も。だから音は、朝陽を見捨てることができない。音はきっとこのとき、練をただの思い出にしようと決めたのだ。
だがそもそも、思い出とはなんのためにあるのか? それは、少なくともこの作品の中では、人がウソをつかずに生きるためにある。誰もが迷い、戸惑い、傷つきながら生きていくうちに、本当の自分を見失う。うれしいときに悲しい顔をしたり、悲しいときにうれしい顔をすることはしばしばだ。そんなときのために、思い出はある。いつでも帰れる場所として。それは忘れようとしても忘れることのできないものだし、いつか必ず思い出されるものだ。
そして音は、かつての自分とよく似た少女(芳根京子)と出会う。自分のかばんを引ったくった泥棒を見つけても、警察へ行こうと考える前に、その引ったくりが腹をすかしていないかを気にするような、おっちょこちょいだ。東京ではひと駅ぐらいは歩けるのかと尋ねたその質問は、音が初めて練に出会ったときにしたのと同じ問いだ。その少女はかつての音そのままであり、音の思い出そのものでもある。だから少女を見つめる音のまなざしは、まるで音の母親が幼い音を見つめたのと同じように慈しみに満ちている。
あの幼かった子どもは、年月を経て、今は病院のベッドで眠っている。彼女が眠る前に書いていた手紙は、練に宛てたものなのか、朝陽に宛てたものなのか。それとも亡き母親へ宛てた手紙か、あるいはあの日の自分にしたためたものなのだろうか。それはきっと、次週の最終回で明らかになるのだろう。いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう。それでもその恋は、まだ始まってもいない。
(文=相沢直)
●あいざわ・すなお
1980年生まれ。構成作家、ライター。活動歴は構成作家として『テレバイダー』(TOKYO MX)、『モンキーパーマ』(tvkほか)、「水道橋博士のメルマ旬報『みっつ数えろ』連載」など。プロデューサーとして『ホワイトボードTV』『バカリズム THE MOVIE』(TOKYO MX)など。
Twitterアカウントは@aizawaaa
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