ある日“イスラム過激派”になった──報道の裏にあるテロリストの素顔とは!? 『僕がイスラム戦士になってシリアで戦ったわけ』
#本
日本人ジャーナリスト・後藤健二さんがイスラム国に殺害されるショッキングな事件から、ちょうど1年が過ぎた。“イスラム過激派”。2001年のアメリカ同時多発テロ事件以降、日常的に目にする単語だが、一体彼らはどんな組織で、どんな人たちなのか? 私たちは知らない。
本書『僕がイスラム戦士になってシリアで戦ったわけ』(金曜日)の著者、鵜澤佳史(27)氏は“イスラム過激派”と呼ばれる人々と寝食を共にし、戦った人物。残虐性のみ取り沙汰される彼らの素顔や、内戦地シリアでの生活など、体験談を中心にした300ページにわたるルポをしたためた。
鵜澤氏がシリアに入ったのは、13年4月のこと。当時のシリアは、チュニジアから始まり中東各国に急速に広がっていった「アラブの春」を経て、現在も続くシリア政府軍と反体制派との戦いの真っ只中だった。
自ら志願して反体制派に加わった鵜澤氏は、指導者の元でイスラム教を熱心に勉強した。イスラム教徒でないと入隊できないうえ、彼らは、人々のために戦っているのではなく彼らの信奉する神のために戦っているため、イスラム教を理解することから始めなくてはならなかった。ムスリム(イスラム教信者)たちと共に、1日5回の礼拝をこなし、ラマダン(断食月)には水の一滴も飲まない生活を送った。そんな生活の中で、鵜澤氏は自分の中にあった彼らに対する「野蛮で残虐なテロリスト」というイメージが、「仲間思いで心温かい人たち」へと変わっていたことに気付く。
それが決定的となった出来事が起こる。シリアの都市、アレッポにある刑務所を政府軍から奪う作戦の際のこと。鵜澤氏は砲弾の攻撃に遭い、脚を負傷してしまう。身動きができないまま、1人戦場に取り残された。死を覚悟したが、銃弾の飛び交う中、決死の覚悟で鵜澤氏を助けだしたのは、他でもない“イスラム過激派”の彼らだった。
先の戦闘で受けた攻撃が原因で、眼の奥に銃弾の破片が埋没していることが発覚し、手術のために日本に帰国することになった鵜澤氏。この時も「帰国後の生活が大変だろうから」と多額の金銭を渡してくれた。たった3カ月の“イスラム過激派”としての生活だったが、鵜澤氏は彼らの本当の姿を伝えたいと強く感じたという。
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