批判殺到の小保方晴子氏に残された起死回生策は「ヘア・ヌード」しかない!?
#週刊誌 #元木昌彦 #週刊誌スクープ大賞
そういえば以前、フライデーが掲載した離婚発表前日の写真を思い出した。亜希夫人が次男と一緒にクルマの中で弁当を食べようとしてところへポルシェに乗った清原が近づく。気付いた息子が道を横切り、クルマから出てきた清原に「パパ~ッ」と飛びつく。
清原は抱き上げて「おそらく涙を浮かべながら」(フライデー)高い高いをしていた。泣かせる写真だった。
会見で清原は、「今は自由に子供に会えへんのが一番ツライ。毎日、子供の写真を眺めてはひとりで泣いてんねん……」と語った。同情する気はないが、寂しさはわかる気がする。
そしてやっぱり“番長”清原のことはフライデーだ。逮捕される2週間ほど前にインタビューしていたそうだ。そこで息子たちへの“愛”を語っている。
「週末になったら、息子に会える。いまはそれだけが楽しみで、それだけを支えに生きてるわ。そのほかの日はメチャメチャ寂しいから、息子とLINEできるように、わざわざ専用のiPhoneも買うたし」
文春の薬物疑惑報道と離婚で一気に周りから人が離れ、仕事もまったくなくなったという。大阪・岸和田に住む両親についてこう語る。
「こないだ大阪に帰って、(認知症の施設に)入院しているお母さんのところに行った。手ェ握ったら、小さァなっててな。だいぶいろいろわからんようになってるのに、オレに『一人で大丈夫か』って何べんも聞くねん。涙出てきて」
そりゃこんな出来の悪い息子を持ちゃ、認知症の母親だって心配で心配でたまらんやろう。
離婚の原因は「DVと薬物使用を見られたり、疑われたことではないのか」という問いに、「ないない」といい張った。そして最後に、
「いろいろ腹の立つヤツもおるけど、殴ったりしたら、自分の息子を犯罪者の子にしてしまう。それだけは絶対しとうない」
暴力沙汰よりもっと恥ずかしい覚せい剤で逮捕。清原は次に息子に会ったとき、どんな言葉をかけるのだろうか。
現代には、以下のような気になる記述がある。警察に清原の有力情報をもたらしたのは、清原にとって無二の親友ともいえる人物だったようだというのだ。
「現役時代から、20年以上にわたって親交のあった男です。いわゆるタニマチではなく、互いに貸し借りがあったワル仲間。本人もかつてヤクの所持で逮捕されたことがあるだけに、清原の購入経路などもよく知っていた。この男が清原からのメールをタレ込み、組対5課はXデーを掴んだのでしょう」(全国紙警視庁担当デスク)
つまり、清原は親友に売られたというのである。
それに10年以上前から清原は捜査対象としてマークされていたという見方もあるそうだ。
薬物に手を染めた背景には、盛んだった関西の有力暴力団との交流があるのかもしれないと書いている。
発端は、1996年12月31日に行われた「賭けゴルフ」だといわれているそうだ。
その年の10月に巨人に移籍したばかりだった清原は、この日、神戸のゴルフクラブにおいて山口組組員らと賭けゴルフを楽しんだという。
すると翌年3月、唐突に別の暴力団構成員からその際の写真を見せられ、カネを支払えと脅されたというのである。
「このトラブルを解決するために、清原はさらに有力な暴力団幹部に接近したんでしょう。彼らとズブズブな関係になっていった」(清原の知人)
妻も子どもも離れ、友人からも裏切られる。そのウサを晴らすのは銀座のクラブの女性と覚せい剤しかなかったのだろうか。虚勢を張り続けた男の末路は哀れだが、清原がプロ野球に残した業績は消えはしない。覚せい剤を断ち切り、ワルい連中と手を切り、根性を入れ替えれば野球界がなんらかの形で迎え入れないとも限らない。それだけの選手だったのに、惜しい。
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