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日刊サイゾー トップ > インタビュー  > 野性爆弾“20周年”ライブの顛末
DVD『野性爆弾 初! ネタのみGIG』発売記念インタビュー

「たぶん、商業漫才、商業コントは一生作れない」21年目に開催した“野性爆弾20周年ライブ”の顛末

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●「大阪時代はクソみたいな扱いだったのが、東京出たら変わりました」

――今、野爆さんは芸歴21年ですか。東京出てどれぐらい経ちます?

ロッシー 僕ら大阪に14年いたんで、7年ですかね。結構しんどい時期に上京しまして。

くっきー レギュラーで出ていた劇場(うめだ花月)がつぶれることになったんです。そこは僕らと先輩の世代がメインだったんですけど、次にできる少し大きめの劇場(京橋花月)は師匠や中堅も出るよと。その話聞いて「それはだりーな」と(笑)。気を使うし、「おはようございます!」と元気に挨拶するのは面倒くせーじゃないですか。

ロッシー その「これからどうする?」のタイミングで、『やりすぎコージー』(テレビ東京)の正月特番で今年もっとも売れる吉本芸人を占ったら、くっきーさんが選ばれたんですよ。じゃあこのタイミングで東京に出ようかと。

――東京出てきて、仕事は変わりました?

くっきー まあまあとんとん拍子にテレビ出て、顔さされるようになりましたね(笑)。

ロッシー 大阪ローカルから全国区の番組に一本出ると、その差だけでだいぶ効果ありましたね。大阪時代はクソみたいな扱いだったのが、東京出たら変わりました。

くっきー 大阪で全然呼ばれなかったテレビ局がすぐ呼んだりして。「わかりやすいなー。はいはい」と(笑)。

ロッシー 急にホテルとってくれるようになったり。何もこっちは変わってなくて、「先月までおったで」って話ですけどね。

――逆輸入というやつですね。「クソみたいな扱い」と言われましたが、バッファロー吾郎さんが、「大阪時代、ケンコバと野爆は吉本から見放された存在だった」と言われていて。

くっきー 本当、仕事はなかったですね。劇場、たまにテレビ、年にいっぺん『オールザッツ』。

――『オールザッツ漫才』で披露する野爆さんのコントは輝いてたじゃないですか。

くっきー そうなんです。そこで輝いて、その名残で少し仕事もらえて、くすんできたらまた『オールザッツ』みたいな。その繰り返しでした。

ロッシー バイトもしてましたし。僕はダーツバーで。

くっきー 僕も先輩のカラオケボックスで働いてましたね。だけど、子どもできるとお金必要じゃないですか。そうなると「もっとわかりやすい漫才にしようかな」と思った時期あるんです。商業漫才。お金を稼ぐマニー漫才を(笑)。

――悪い言葉ですねえ。

くっきー でもできなかったです。なんか違いました。丸みを帯びようとしたら、できなかった。

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