マツコロイドが真理を語る、NHK新春ドラマ『富士ファミリー』の肯定感
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『富士ファミリー』では、これまでの木皿泉作品のモチーフが踏襲されている。特に「血のつながらない共同体」を描いた『すいか』(2003年、日本テレビ系)を強く思わせる。
「私が代わりにここにいてあげる。だから、お前はどんどん転がるように変わっていけ」と鷹子から言われて上京したナスミを演じる小泉今日子。彼女は『すいか』では、勤め先の信用金庫から3億円を横領して逃亡していた馬場万里子役を演じた。
それぞれが人生の岐路に立つ中、笑子は自分の存在がそれを妨げてしまっているのではないか、自分は彼女たちの迷惑になってしまっているだけではないかと悩み、家を出ようと考える。そんな時に出会うのが、マツコロイドだ。
配送中に車から落ちてしまったというマツコロイドは、自分は「介護ロボット」だと言う。「介護するロボット」ではなく「介護されるロボット」、つまり「人に迷惑をかけるためだけに作られたロボット」だと言うのだ。なぜそんなものが作られたのか、意味がわからない。だが、マツコロイドは言う。
「意味があろうがなかろうが、すでに私たちはここにいる。そのことのほうが、重要なんじゃないかしら」
気恥ずかしいセリフでも、マツコロイドが機械的に発すると、その“真理”が素直に響いてくる。
『すいか』で、地味に働くだけの日常にふと疑問を持ち始めた主人公・早川基子(小林聡美)が「私みたいな者も、いていいんでしょうか」と漏らした問いに、アネゴ肌の大学教授(浅丘ルリ子)がハッキリと言うシーンがある。「いて、よし!」と。
『富士ファミリー』でも、笑子がマツコロイドに「私、ここにいていいのかね?」と問いかける。
すると、マツコロイドは言うのだ。
「ていうか、もういるし」
その肯定感は時を超え、その分、更新されていっている。エベレストの目の前だろうが、富士山の麓に住んでいようが、人は悩みながら生きている。だけど、富士山のような絶対的な存在があるからこそ、それが心の支えになり、生きやすくもなる。思えば、『富士ファミリー』で木皿泉によって描かれる肯定感は、「富士山」そのものだ。富士山がそうであるように、僕らの日常の中の悩みを「いて、よし!」「ていうか、もういるし」と、優しく受け止めてくれる。
(文=てれびのスキマ <http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/>)
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