「臆病なくらいがちょうどいい」『コウノドリ』に漂う“強さ”の正体
#ドラマ #テレビ裏ガイド #てれびのスキマ
生後1週間を越えれば安定するといわれていたが、不眠不休の新井らの献身的な看病にもかかわらず、5日目で赤ちゃんの容体が急変。脳室内出血を起こしてしまったのだ。
「大丈夫。まだなんとかなる。状態さえ落ち着いてくれたら、手術に踏み切れる。大丈夫、大丈夫……」
自分に言い聞かせるように繰り返す新井だったが、やはり“奇跡”は起きなかった。
医者は、ヒーローではない。救えない命がある。その「現実」を、まざまざと『コウノドリ』では描いている。だが、その厳しい現実を描くだけで終わらないのが、このドラマの“優しさ”だ。
新生児科の部長・今橋(大森南朋)は、両親に優しく語りかける。
「洋介くん(赤ちゃん)を、抱っこしてみませんか?」
まだあきらめきれない新井は「ちょっと待ってください。今は保育器から出せません」と、それをさえぎる。「まだあきらめたくない」と。しかし、今橋は毅然として言う。
「新井先生は、洋介くんを、お父さんとお母さんに一度も抱きしめられなかった子にしたいんですか?」
両親は子どもを抱きしめることで初めて、「よく頑張った」「ありがとう」と伝えることができたのだ。
『コウノドリ』はどこまでも優しく、厳しい現実に寄り添っている。理想通りにいかない厳しい現実の中で、いかに希望を見いだして生きるかを描いている。
「誰かの命に寄り添うには、臆病なくらいがちょうどいい」と助産師は言う。臆病なほどに細心の注意を払うことが、「強さ」につながっていくのだ。この作品も同じだ。細心の注意を払って丁寧に「現実」を描くこと。それが作品の「強さ」になっている。
『コウノドリ』は、優しくて強いドラマなのだ。
(文=てれびのスキマ <http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/>)
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