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日刊サイゾー トップ > エンタメ  > 元木&清原、足りないのは…

ネットで大ブーイングの元木大介と清原和博 足りないのは“セルフプロデュース力”だった!?

 ブログを開設しただけでニュースになるのだから、さすがは清原! と思う半面、今度はその内容が「らしくない」の大合唱だ。

 確かに、今さら清原の食事内容や歯医者が怖い・痛い、といったエピソードはいかがなものか、とも思う。そして、やれFacebookだInstagramだといわれているなか、なぜ今さらブログなの? という感覚にも疑問を抱かざるを得ない。

 だが、そもそも清原の「らしさ」とは、なんなのか。

 いわゆる「番長キャラ」は1997年の巨人移籍後に定着したもの(かのフライデー「おぅワイや!清原和博番長日記」の連載も97~03年)。さかのぼれば、西武時代、日本シリーズで因縁の巨人相手に勝利目前、思わず涙を流した「純」な姿こそ、本来の清原和博であったはず。ブログでは、そんな「純粋」で「無垢」な清原像をあらためて堪能することができる、ともいえる(それが面白いかどうかは、また別なのだが)。

 ただ、清原の場合は元木よりもさらに問題の根が深い。本人が切望する「野球の仕事」への道のりが、かなり険しい状況だからだ。

「野球賭博騒動で揺れているのが今の球界。この状況下で、真偽はあれど薬物疑惑があり、暴力団関係者との関わりもウワサされる清原にポストを用意する球団は、まずあり得ないでしょう」(野球雑誌編集者)

 それでもなお、野球界に戻りたいのならば、今やるべきことは、かつての「純」な気持ちであらためて野球に取り組むことのはず。プロが無理であれば、それこそ場所を選ばなければ、アマチュアでも海外でもコーチ修業はできるはずなのだ。

 それなのに、今年の清原といえば、お遍路巡りがニュースとなり、そこからあらためてメディアでの露出も増え始めた。だが、ユニフォームを今一度着たいのならば、踏み出すべき場はメディアでもお遍路でもなく、グラウンドのはず。土の上で、日の光の下で、クスリとも暴力団とも関係がない身の潔白を証明することのはず。やはり、自分をどう出していくべきかというセルフプロデュースを見誤っているとしか思えない。

 皮肉にも、最新のインタビューで、清原自身こんなことを口にしている。

「イチローとも話したんですけど、そういう自分をセルフプロデュースすることが大事だなって。でもいまはプロの選手がプロの選手の物真似をしている。僕たちの時代は王さんの物真似をしたように、いまの子どもたちに真似されなければいけないと思う」(「読む野球 No.10」主婦の友社)

 かつて清原に、元木に憧れて物真似をした元少年たちが、もう一度「そんな生き方もいいな」と思える生きざまを示してもらいたい。
(文=オグマナオト)

最終更新:2016/04/01 12:06
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