“元アウトローのカリスマ”瓜田純士が新宿を歩けない……「パニック障害」と闘った日々
#インタビュー #瓜田純士
――さきほど「弱いのに新宿のアタマになってしまった」とおっしゃいましたが、弱さを自覚したのはいつですか?
瓜田 この際だからはっきり言いますが、僕はガキのころからタイマンが苦手だったんです。なんでかというとガキのケンカなんてジャンケンと一緒で、どれだけコンディションが良くても気持ちで勝っていても、負けるときは負けるんですよ。僕は背が高かったけど、タックルを食らって倒されたりして、「あれ? なんでこんなチビに?」っていう相手にも、けっこう負けたり苦戦したりした。タイマンは不良の見せ場で、ギャラリーが見たいのはきれいに勝つシーン。でも、なかなかきれいにはいかず、たいていゴチャゴチャになるんです。で、ゼェゼェ息切れしている間に先輩の止めが入り、「純士が押されていたな」と言われたり、仲間からも「瓜田はたいしたことない」と思われたりしちゃう。「あれ? おかしいな? もういっぺんやらせてくれ」と言っても、ガキのケンカに2ラウンドはないんです。ある時期そんな感じで負けが続いてしまって、もうタイマンを張るのはイヤだと思い、絶対的に自分が一番ってことを見せつけるケンカのやり方を覚えちゃったんですよ。
――そのやり方とは?
瓜田 要は「場面」ですよ。手下を使ってめちゃくちゃ怖い思いをさせてから、泣きながらブルブル震えているヤツのもとに、リーダーの僕があとから現れて、威圧感をたっぷり漂わせながら「てめえこの野郎」と言葉でさんざんいたぶるわけです。相手は萎縮して謝るしかない。腕力ではなく、空気感で相手を屈服させるんです。いちいちタイマンを張っていたら負けるリスクがあるから、そういう手をよく使いました。ズルしてでも勝ちにこだわったんです。
――本職顔負けのやり方ですね。
瓜田 実際、ナメられたくないという思いから本職になった時期もありました。でも、タイマンが苦手というコンプレックスを抱えたまま大人になったら未来がない。そう思って出たのが、第一回のジ・アウトサイダー(編注/リングス・前田日明主催の不良更生を目的とする格闘技大会)だったんです。あれは、大勢の観客の前で行う正真正銘のタイマンでしたから、だいぶ自分に打ち勝つことができた。やっぱ人間、どこかで一度は戦わないとダメですね。
――そんな出場動機だったとは知りませんでした。
瓜田 調子に乗って出た第二回大会では北海道の青年にボコボコにやられちゃいましたが(笑)、勝ち戦しか知らないヤツはどっかで死んだりしますから、あれもいいクスリです。自分の力を過信しちゃダメ。運だっていつかは尽きます。僕は痛い思いや苦しい思いをいっぱいしてきたから、運がないのかなって思うこともあるけど、その分、嫁との幸せを手に入れることができたからオールOKですね。
* * *
苦難を乗り越え、虚飾を脱ぎ捨て、真実の愛にたどり着いた瓜田。街はハロウィンに沸いていたが、午後10時になると「嫁に心配をかけたくないので」と言い残し、家路についた。
(取材・文=岡林敬太)
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