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週刊誌スクープ大賞

「営業赤字10億円」も真っ赤なウソ!? 電通も手を引く、フジテレビの瀕死ぶり

 この件を、月刊誌「創」12月号が詳しく報じているので要点を紹介しよう。

 10月8日、文藝春秋社の2階にある週刊文春の編集部に松井社長と木俣常務、鈴木洋嗣局長が出向き、編集長の休養を編集部員に告げた。

 理由は、春画を掲載したことが週刊文春の信頼性を損なったためだという。松井社長の次の言い分に、私は違和感を持った。

「週刊文春は代々、ヘアヌードはやらないという方針でやってきました。振り返れば辛い時代もありました。週刊現代、週刊ポストをどうしても追い抜けない時代があった。理由は週刊文春にはヘアヌードが載っていなかったからです」

 家に持って帰れる週刊誌だから、やせ我慢してヘアヌードを載せなかった。その信頼を、今回は裏切ったというのである。

 この「歴史認識」は間違いである。創刊してしばらくはともかく、週刊現代は出版社系週刊誌のトップを走り続け、週刊ポストが創刊されてからは現代とポストが首位争いを繰り広げてきたのである。

 確かに、私が現代編集長になる数年前から文春が現代を追い抜いたことはあったが、それは現代が大きく部数を落としたからであった。

 現代、ポストはヘア・ヌードで部数を伸ばしたが、それだけが理由ではない。読者に受け入れられる誌面作りに力を入れた結果で、企業努力をしなかった週刊誌が悔し紛れに、ヘア・ヌードの御利益ばかりを言い募っただけである。

 毎週、文春は新聞広告で、何十週ナンバー1などとうたっているが、ほかの週刊誌の部数が大きく落ちたので、落ち幅が少ない文春が上にいるだけではないのか。

 まあ、それは置いとくとして、社長のやり方は編集権の介入ではないか、春画は芸術である、編集長は更迭かなど、編集部から疑問の声が上がったという。当然である。

 春画をわいせつとする考えは私も理解しがたいが、編集長休養の背景には、AKB48などの芸能モノに力を入れる、編集長の「軽薄路線」が首脳部をイラつかせていたこともあるようだ。

 あと2カ月たって新谷編集長が復帰してきたら、どういう誌面を作るのだろう。注目したい。

 ところで、日本一給料が高かったフジテレビが大変だと、先週の週刊ダイヤモンド「誰がテレビを殺すのか」が報じていた。こういう記述がある。

 9月上旬、フジテレビに衝撃が走った。電通から、日曜ゴールデン帯の広告枠の買い切りを見送りたいという連絡が入ったのだ。これまではまとめ買いの枠に一部赤字が出ても、広告代理店はテレビ局を必死に支えてきた。だが、フジの低視聴率を背景に、決断が下されたのだ。長年、年間数億円程度の電波利用権を国に支払って1,000億円、2,000億円と広告収益を稼いできたおいしいビジネスモデルに赤信号が灯った。

 フジテレビを辞めて、フリーアナウンサーになった長谷川豊氏も自分のブログで、

「フジテレビの営業赤字は事実です。正確に言っておくと、記事中に『営業赤字が10億円』となっていますが、これは私の得ている情報では『相当にごまかしている数字』のはずです。色々と圧縮して、ごまかして、その上で10億円のはずです。実際はもっと苦しい数字のはずです。あくまで私の得ている情報の範囲ですが」

 続けて、こうも書いている。

「他局の皆さん、なぜフジテレビの営業赤字をニュースとして流さないのでしょうか? この『全て無視する姿勢』は絶対に視聴者の皆様の反感を買います。ニュースとしては扱った方がいい。なにせ、日本を代表するテレビ局が、開局以来初となる赤字に転落したのです」

 ダイヤモンドは、ネット配信サービスの大幅な普及がテレビメディアのあり方に影響を与えているとしている。吉本興業は芥川賞を獲った所属芸人・又吉直樹氏の作品『火花』の映像化権を、既存テレビ局ではなく定額動画ネット配信サービス「Netflix」に差し出したというのだ。テレビの危機は、本格化してきたようだ。

 さて、11月11日は高倉健が亡くなって1年になる。BSを中心に、健さんの映画を何本も流していた。

 個人的には、結末はあまり好きではないが、『駅 STATION』(東宝)が一番いい。北海道の雪深い町のどん詰まりにあるうら寂しい赤提灯で、女将の倍賞千恵子と健さんが、紅白歌合戦で八代亜紀が唄う「舟歌」を聞きながら、何気ない会話を交わすシーンが好きだ。

 一夜を上にある彼女の寝間で過ごした健さんが、朝、歯を磨きながら、倍賞から「私の声大きくなかった?」と聞かれ、「すごかったな」と一人つぶやくのがほほえましかった。

 新潮は、健さんが死ぬ前に養子縁組をして、唯一の子どもとして彼の遺産を引き継いだ養女(51)について、あまり芳しくないウワサがあるとレポートしている。

 健さんは4人きょうだいの2番目。兄と上の姉は他界しているが、下の妹の敏子さん(80)は九州で健在だという。きょうだいたちにはそれぞれ子どもがいるが、健さんの死は事務所が公表するまで知らされなかったし、密葬にも呼ばれていない。

 驚くのは、健さんは江利チエミとの間にできた「水子」が眠っている鎌倉霊園に墓地を持っていたが、健さんと親しかった「チーム高倉」たちが、供養塔をそこに造れないかと霊園側に持ちかけたところ、霊園側から「管理費が滞納されている」ことを告げられたというのである。

 養女が忘れていたのかもしれないが、礼を失しないことを大切にしてきた健さんが生きていたら、一番嫌がることではないだろうか。

 養女は、過去に2度離婚経験があるそうだ。その後、19年ほど前に健さんが「家の仕事をしてくれる人を探している」と親しくしていた寿司店の大将に話し、彼女が敷地内の別の建物に住むようになった。

 そして、しばらくすると2つの建物をつなげ、自由に行き来できるように改築したという。

 養女の父親は、東京・板橋区の古い住宅供給公社の団地に住む。壁は塗装がだいぶ剥げ落ちていると新潮が書いている。実父の久夫さん(80)は、妻とは30年くらいに前に別れているという。

「去年パジェロに乗ってやってきたけど、私の吸うタバコの煙を嫌がって、“もう来ない”とすぐに帰ってしまいました。珈琲セットとか果物を贈ってきたり、年賀状のやりとりはあったけど、最近はなくなりました。で、高倉健ですか。養子になったというのは聞いていなかったです。そう言えば2年くらい前に来たときは、30万円が入った封筒を置いて行きました」

 彼女は、千代田学園に通う18歳のときスカウトされて芸能界入りし、20歳でデビューした。初めは民謡歌手のアシスタントなどをしていたが、橋田壽賀子や山田太一のドラマに出るようになったそうだ。

 名優・笠智衆にかわいがられたと、父親が話している。しかし、芸能界の仕事から次第に離れていったという。健さんが愛した最後の女性は、健さんにふさわしい人であってほしい。そんなファンの思いに、彼女がかなり重圧を感じていることは想像できる。ぜひ、表に出てきて、素顔の健さんの思い出を語ってほしいものである。
(文=元木昌彦)

最終更新:2015/11/16 21:00
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