『下町ロケット』は“現代の時代劇”だ 福澤克雄チームの必勝パターンと今後への期待
#リアルサウンド
しかし、現在の池井戸潤原作ドラマの多くがスマッシュヒットはしているが、『半沢直樹』のようなメガヒットに至っていないという現実も見逃せない。
『半沢直樹』が、他の池井戸潤の原作ドラマと較べて、どこか異常に見えるのは、バンカー(投資銀行家)の半沢直樹(堺雅人)の行動が、時に勧善懲悪を逸脱する瞬間があったからだ。復讐のために出世を目指す半沢は自分と対立するバンカーを次々と倒していき、最後には宿敵である大和田常務(香川照之)を土下座させるまでになるが、堺雅人の怪演もあってか、半沢の制裁には痛快さだけでなく、そこまでやっていいのか? という暴力が持つ不快感が存在した。それが、人間の暗部を刺激する見世物的な面白さとなっていたからこそ、多くの視聴者を引き付けたのではないか。と、今は思う。『半沢直樹』の時に感じた、快楽と不快感が同時に存在する感覚は、今のところ『下町ロケット』には存在しない。
物語もテンポがよく、一つ一つのエピソードやキャラクターがさっぱりしているので、後味の悪さは残らない。現代の時代劇と考えればそれで正解なのだろうが、どこか淡泊で物足りなく感じる。
同じようなことは現在放送中の『あさが来た』(NHK)や『偽装の夫婦』(日本テレビ系)にも言えるのだが、露悪的な表現をフックにして物語を見せるという炎上商法的な演出に対して作り手自体が歯止めをかけはじめているのかもしれない。それがある種の健全性をドラマに持ち込んでいて、そのスタンスに好感を持つ一方で、「人間の心は、そんなに簡単じゃない」という思いも、見ていて感じる。
福澤克雄たちが、ポスト『半沢直樹』を生み出せるかどうかは、そのあたりにかかっているのではないかと思う。
■成馬零一
76年生まれ。ライター、ドラマ評論家。ドラマ評を中心に雑誌、ウェブ等で幅広く執筆。単著に『TVドラマは、ジャニーズものだけ見ろ!』(宝島社新書)、『キャラクタードラマの誕生:テレビドラマを更新する6人の脚本家』(河出書房新社)がある。
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