「OPD時代、恋愛はOKだったけれど……」【中野公美子】吉本新喜劇を彩る“美魔女”の悩みとは……?
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――おお! そこはやっぱり、歌って踊るんですか?
中野 最初はみんな「もう踊れないでしょ」「トークライブでいいんじゃないの?」って言ってたんだけど、「いや! やっぱり歌と踊りでしょ!! やらなきゃ!!」って(笑)。結果、半年以上の練習期間を……。
――長!!
中野 振りつけとかも覚えてないから、当時のビデオを……あ、ビデオですよ、DVDじゃなく(笑)! それを見ながら半年間はリハーサルしてました。結婚して地方にいて来られなかったメンバーは手紙やビデオレターをくれたり、来れるOPDメンバーが来てくれたりで、当日はけっこう集まりました。そこでやっとファンのみなさんに挨拶ができました(笑)。
――復活ライブで「解散します!」ってシュールすぎます!
中野 「復活ライブで解散しますとは言ってないんですけど、あの時はみんなに伝えられなかったけど、今、またみんなに会えて良かった!!」みたいな(笑)。お客さん入るかどうかも不安だったんですけど、当時のファンのみなさんがけっこう来てくださって、ぎゅうぎゅうの客席に懐かしいみなさんの顔があって……私たちもそうですけど、ファンの方も年齢を重ねているから、「あ~年月が経ったんだなぁ」ってしみじみして、涙ながらにMCしましたね。本当にうれしくて!
――良い話すぎてドキュメントで観たいです! 中野さんは、OPDに入る前は何をされていたんですか?
中野 その前は普通に高校に通っていました。ずっとバレエをやっていたので、もし芸能界に入れなかったら、バレエの先生とか、バレエ団に入ろうと思ってたんです。
――そっちの人生もかっこよすぎ! そもそも、中野さんはアイドル志望だったんでしょうか? 女優のお仕事が多いですよね。
中野 アイドルに憧れていたけれど、お芝居もやりたいと思っていたんです。それをOPDの頃から両方やらせてもらっていたので、すごく恵まれていたなぁと思います。
――NHKの大河ドラマに2本も出演されているのってすごいです。OPDをやりながら『星の金貨』(1995年/日本テレビ)、『龍馬におまかせ!』(96年/日本テレビ)、それにバラエティ番組多数、となると、かなり忙しかったんじゃないですか?
中野 まず、学生だったので、学校行って、終わったらレッスンに行って、お仕事があるときは学校を休んで……って感じなんですけど、芸能学校とかではない普通の学校なので、単位が厳しくて、大変でした。
──そうして無事に女優業やOPDの活動ができたわけですが、その頃は吉本の新喜劇に出るとは思ってましたか?
中野 まったく(即答)。まったく思ってなかったです。たまたま、先輩に「ルミネで新しいお芝居みたいなのをやるから、どう?」って言われて、せっかくお誘いいただいたので、よろしくお願いしますって。そうやって出始めて、もう10年くらいですね。
――新喜劇に出てる綺麗な女優さんってどういう流れて出てるんだろうと思ってたけど、そういう流れがあったんですね! 新喜劇は、普通のお芝居やライブとはまた違う楽しさがありそうですね。
中野 というか、すごくびっくりしたんですけど、普通、舞台って1カ月くらい稽古期間があるんですけど、吉本のって1回とか2回しかないんですよ。だから、めちゃめちゃ緊張します。お笑いなので、お客さんの反応を見ながら変えていくんですよ。だから、一番始めはあんまり作り込まずにやって、そこで生まれたアドリブがウケたら、それが本当の台本になるんです。だから稽古もほとんどなくて、10年やっても初日は緊張します。
――芸人さんたちのアドリブに答えていかなきゃいけないんですもんね、気が抜けない!! ところで、芸人さんに口説かれたりはしないですか?
中野 うーん、同じ事務所だと、いろんなウワサも耳に入ってきますし……もちろん芸人さんは尊敬してますけど、自分が彼女だったら大変だろうなって思っちゃう(笑)。
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