「あれまッ」と驚くシャマラン節がたまらない!“無縁社会”が生み出した都市伝説『ヴィジット』
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オリジナル作品を撮る度に、元ネタが何であるかが騒がれるシャマラン作品。『ヴィジット』は言ってしまえば、グリム童話の有名な2つのエピソードをシャマラン流に現代語訳したものだ。ひとつは『ヘンゼルとグレーテル』。知らない森の中(ケータイ電波の届かない田舎)に迷い込んだ幼い姉弟が、大人の力を借りずに懸命にサバイバルするお話となっている。家族の愛情に飢えていたベッカとタイラーにとって、優しいグランパとグランマが暮らす一軒家は“お菓子の家”のような甘い夢の空間のはずだった。お菓子づくりが自慢の祖母はやはり悪い魔女なのか。ベッカが祖母にオーブンの掃除を命じられるシーンにハラハラさせられる。もうひとつ有名なグリム童話がモチーフとなっているが、タイトルを挙げるとラストの“お楽しみ”まで分かってしまうので伏せておこう。見終わった後、「グリム童話は今も存在するんだ」と思うに違いない。
ベッカが持つハンディカメラの目線で描かれる現代のグリム童話『ヴィジット』。本作はシャマラン監督にとって初めての主観映像スタイル、フェイクドキュメンタリーものとなっている。ベッカが手にしたハンディカメラにはいろんなものが映り込んでいく。ベッカたちには優しい祖父と祖母だが、ほとんど自宅の敷地内にこもっており、外部の人たちと交流していないことが分かる。たまに近隣の人が訪ねてきても、トラブルがあるらしく口論になってしまう。祖父と祖母にとってひとり娘にあたるベッカたちの母親とは、母親が高校時代に父親と駆け落ちして以来、絶縁状態が続いている。地縁も血縁もなく、2人の高齢者は狭い世界で淋しく暮らしてきた。一方、祖父と祖母の前では明るくはしゃいで見せるベッカとタイラーだが、姉弟だけになると「父親に棄てられた子ども」としての哀しみが湧き出てしまう。両親の離婚は自分たちにも責任があるのではないかと悩む。ストレスからタイラーは過剰な潔癖症に、ベッカは鏡で自分の顔を直視することができなくなった。恐怖演出ではないシーンに、現代人の心の虚ろさがぽっかりと浮かび上がる。
カメラはカメラの前に立つ人間に“物語内の主人公”になることを意識させるだけでなく、カメラを持つ人間の“意識”をも変えていく。実家で起きている異変に気づいたベッカは大人しくしてればいいのに、カメラを使ってその正体を解き明かしたいという欲求に駆られていく。母が実家を飛び出して疎遠のままなのは、何か深い事情が隠されているからではないのか。母と祖母はなぜ和解しようとしないのか。ベッカはカメラを回しながら祖母をインタビューすることで、自分の数倍もの人生を歩んできた祖母の心の奥底にある暗くて深い沼にまで踏み込んでいこうとする。CGや特撮に頼ることなく、シャマラン監督は観客の心をザワザワさせる。カメラを持つ人間の意志や葛藤も映像の中には映り込んでいく。固定カメラを使った超低予算ホラー『パラノーマル・アクティビティ』(07)とは大きく異なる点だ。
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