右翼団体も街宣中!? 鬼怒川堤防決壊から40日……“濁流にのみ込まれた街”茨城県常総市のいま
取材に訪れたのは日曜日だったため、被災した家の中ではボランティアの人々が懸命に作業に取り組んでいた。常総市では、災害発生直後からボランティアセンターを設置しており、ピークとなったシルバーウィーク時には1日で3,000人以上のボランティアが集まった。しかし、被災地に集うのはボランティアや取材関係者ばかりでもないようだ……。
取材を行っていると、突如「君が代」が大音量で流れてきた。その方向を見ると、日の丸を掲げ、「国賊を許すな」という文字を大書した右翼団体の街宣車が活動を行っていたのだ! 被災者への見舞いの言葉とともに「東日本大震災の教訓が生かされていない」「(後手に回った常総市の災害対応について)謝罪すらないのは、とんでもないこと」と、強く非難する演説を行っていた右翼団体。被災地の風景に似つかわしくない黒い街宣車は、ゆったりとしたスピードで農道を進んでいった。
若宮戸地区からおよそ4キロ下流に下った三坂町地区は、最も甚大な被害を受けた地域。堤防が決壊し、家が流される様子や人々が救助される様子はリアルタイムで中継され、今回の水害を象徴する地区となった。この地区の中心部を走る県道357号線は、水害によって崩落し、現在でも通行止めが続いている。
災害前の様子をグーグルマップで確認すると、県道沿いには数十軒の家屋が立ち並び、その裏手には田畑が広がっていた。しかし現在、そんな過去の面影はほとんど残されておらず、田畑だった部分には土砂が流入し、まるで砂丘のような光景が広がっている。横転した車や家屋、屋根だけが残された姿、レコード、パソコンなどの生活用品が散らばったその光景は、シュールレアリスム絵画の巨匠・ダリの作品を想起させるが、もちろんこれは画家の想像ではなく、現実の風景である。
水害から2週間ほどで、堤防の応急復旧工事が終了した。しかし、水害によって被害を受けた街の様子には、ほとんど変化がないように見える。ほぼ無傷のままに残ったことから有名になった「ヘーベルハウス」や、男性がしがみつきながら救助を待った電柱、傾いた家々も、ほぼそのままの姿をとどめていた。いまだ、復興はおろか、復旧すらもままならない状況だ。「元通りになるまで、3年はかかるのではないか」と、農業関係者はつぶやいた。
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