「実はボクシング界のすごい人」具志堅用高に聞く、“あの伝説”の真相
#本 #インタビュー
■ラスベガスで試合ができるような選手を育てたい
――結局、日本最多記録となる13回もタイトルを防衛したわけですが、途中でやめたいなんて思うことはなかったですか?
具志堅 チャンピオンのまま引退しようなんて思ったこともあるけど、やめられなかったね。だって、ジムのオーナーが、あちこちで契約交わしてるから。もう先々の試合まで決まっちゃってるもん。ジムのスタッフもいっぱいいるし、勝手にはできなかったね。最後のほうは体もつらかったよ、やっぱり。
――14回目の防衛戦では、試合前にアイスクリームを食べられなかったから負けた、なんて伝説もありますけど。
具志堅 それね! 計量が終わったらいつもアイスクリームを食べてたんだけどさぁ~、その日は取り上げられちゃったんだよなぁ~。
――それで、保ってきたリズムが崩れちゃったということですかね?
具志堅 うまくいかなかったなぁ~、あの試合は。途中でリズムが狂っちゃった。負ける相手じゃなかったんだけどさぁ~。
――それで引退するわけですけど、それまでボクシング一筋だったのが、急にボクシングがなくなっちゃって、どうしようと思いましたか?
具志堅 とにかく第2の仕事をしなくちゃいけないからね。だからいろいろ飲食店もやったけど、長続きしなくって。その後にジムを始めたんですよ。それからテレビ番組に出て、片岡鶴太郎さんとの出会いがあった。そこからタレントもやってますよ。
――鶴太郎さん、具志堅さんのモノマネをよくしてましたもんね。あのモノマネは、どう思ってましたか?
具志堅 最初は、いい気持ちしなかったよ。「そうっすね」とは言ってたけど、「チョッチュネ」なんて言ってないもん。まあそれがウケるんだから、いいだろうという感じで。今は、たまに自分でも「チョッチュネ」って言ったりするけど(笑)。
――テレビの世界はどうですか? ボクシングとは、まったく違うと思いますけど。
具志堅 いやあ、やっぱりそれも一緒よ、ボクシングと。かみ合えば盛り上がるし、かみ合わなければ負けちゃう。若いタレントさんたちも、もっと人気が欲しいって、みんな一生懸命だもん。
――今は、その芸能人的な活動とジムが活動の中心ってことですかね?
具志堅 そうそうそう。
――ジムで注目している選手はいますか?
具志堅 うちに、比嘉大吾っていうユースの世界チャンピオンがいるんですよ。あと、世界を狙ってる江藤光喜っていう東洋チャンピオンもいる。年内に世界挑戦させたいなって思ってるんですよ!
――自分の若い時と比べて、今のボクサーたちはここが違うなっていう点はありますか?
具志堅 まるで変わってますよ。今の若い子たちのほうが賢いっていうか。ちゃんとバイトして、部屋の荷物もそろえて、彼女も作って……。
――私生活もちゃんと楽しんで、ボクシングにも打ち込んでいるという感じですか?
具志堅 そうだと思いますよ。でも本当は、世界チャンピオンになってから彼女を作るのが一番だと思いますけどね。彼女ができると、楽なほうへ楽なほうへ行っちゃうんですよ。ボクシングをやれる時間なんて、そんなに長くないんだから。5~6年頑張れば、次の人生があるんだから。本気でやってる人は、そういう気持ちで練習に来てますよ。そういう選手には、チャンスを作ってあげたいよね。
――そういう選手にチャンスを作ってあげて、世界チャンピオンを育てるというのが今の夢でしょうか?
具志堅 それもそうだし、いつかラスベガスで試合ができるような選手を育てたいよね。1試合で何十億円取れるような選手を。日本人ボクサーにも、そういう時代が来なくちゃいけないんですよ!
(取材・文=北村ヂン)
●ぐしけん・ようこう
1955年6月26日生まれ。沖縄県石垣市出身。元プロボクサー。生来のサウスポー・ボクサーで、76年、デビューからわずか9戦目で、WBAジュニアフライ級のタイトルに挑戦。以後、81年まで13回防衛。14回目の防衛戦でペドロ・フローレスに敗れ、引退。現在は、白井・具志堅スポーツジムの会長として、若い世代の指導に当たっている。
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