“負け犬”の烙印を押された闘犬と少年の逆襲劇!! トルコ映画『シーヴァス』が放つワイルドな魅力
#映画 #インタビュー
■犬との友情か、大人の仲間入りか? 少年は選択を迫られる
――少年アスランが自分の体より大きなシーヴァスを飼うことになるきっかけとして、クラスでいちばんかわいい女の子アイシェの気を惹きたいという思惑がある。子どもながら女の子にモテたいという心情は、トルコも日本も同じだなぁと共感しました(笑)。
カアン そうでしょう(笑)。東京の男性は、女性にモテるためにフェラーリやランボルギーニみたいな、すごくかっこいい車に乗るわけです。でも、少年アスランが暮らすトルコの田舎では、ランボルギーニやフェラーリの代わりがあの犬なんです。アスランは最初のうちは犬を女の子にモテるための道具として利用しようとしているんですが、犬と仲良くなっていくうちに、そういう目的からどんどん離れていくことになるんですね。純粋に犬との間に友情が芽生えていくんです。
――学芸会で上演する『白雪姫』で、アスランは王子さまではなく7人の小人役に回されて拗ねるんですが、子どもの頃の自分もあの中にいたんだなと思いました。もちろん、小人役のひとりです(笑)。かわいい女の子を振り向かせたいというアスランの感情がリアルに描かれていましたが、監督自身の少年期が投影されているのではないですか?
カアン (うなずきながら)映画とは自分自身を表現するものだと考えています。自分の感情や考え方が作品の中に込められるわけです。アスラン役を演じた少年ドアン・イムジとワークショップ中も撮影期間中も、常に側にいるようにしました。お兄さんのような存在で、付きっきりで細かく演技指導したんです。なのでカメラの前でドアンがやっていることは、すべて私自身でもあったと言えるし、主人公のアスランはドアンと私の考えが一体化した存在でもあったんです。『シーヴァス』は4週間で撮りきる予定でしたが、実際に撮り終わったのは8週間後でした。その分、ドアンとは打ち解けた関係となり、最初は犬のことを怖がっていた彼も犬の世話をずっと続けることですっかり犬と仲良しになったんです。
—インタビューの冒頭で“資本主義の世界で勝つことへの疑問”と言われましたが、人間と犬は資本主義や貨幣経済が発明されるずっと以前から友情を育くんできた仲でもある。カアン監督は人間と犬との関係性をどう考えています?
カアン 人間と犬とを結んでいる友情は、何千年も大昔からあったものです。その友情はとても自然なものだと思います。友情の大切さを理解することは、そんなに難しいことではありません。アスランは11歳という思春期であり、子ども社会と大人社会の分岐点にいるわけです。そこでアスランは考えることになるんです。彼が友情を感じているシーヴァスのように自然の世界でありのままの姿で暮らすことがいいのか、闘犬を楽しんでいる人間社会の大人たちの一員になるのがいいのか。本当の理想の世界は一体どちらなのかをアスランは思い悩むわけです。言ってみれば、シーヴァスのように純粋な存在でいるべきか、それとも村長の息子をえこひいきする学校の教師や家で仕事をせずに遊んでいる兄のような大人になるのかの二者択一を迫られるわけです。
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