エージェント批判、暴力団フロント企業との関係、そして芸能活動をする姪……引退を発表した藤田伸二元騎手の素顔
#競馬 #藤田伸二
そもそも藤田元騎手は、2014年に出演したテレビ番組『有吉反省会』の中で、自らを「チャラい」「(既存のルールを)打ち砕いていこう」といった発言をしていたが、その破天荒ぶりを示すように、多くの武勇伝が存在する。レース中の若手騎手への恫喝、レース後の先輩騎手への暴言、極めつきは06年暮れに起こした飲食店店員に対する暴行事件(書類送検後、示談により起訴猶予で3カ月の騎乗停止処分)もある。そして本人にとって“悪い意味”で転機となったのは12年4月、信頼していたエージェントの死だろう。敏腕エージェントであったA氏の死を境に、藤田元騎手は騎乗確保が困難になり、さらに自由奔放な性格が災いして競馬界を牛耳るグループや大物馬主から敬遠され、騎乗が激減した。
最後にG1レースおよび重賞レースで勝利したのは11年12月であったことからも、やはり12年を境に生活環境は激変していく。藤田元騎手の年間勝利数は06年の127勝がピークで、その後10年まで100勝前後で推移し、11年59勝、12年31勝、13年50勝、14年は33勝、今年も引退当日の9月6日まで18勝と大幅に減少している。加えて11年には年間重賞8勝を記録したが、12年以降は未勝利。また13年に競馬界の内部事情に触れた本『騎手の一分』の出版で関係者から距離を置かれるようになり、弟のようにかわいがっていた若手騎手も離れていってしまった。
この環境でプライドの高い藤田元騎手がモチベーションを維持できるはずもなく、騎手生活を終了するという選択に至ったのである。
●引退の裏側に見える、ある競馬予想会社の存在
さて、15年9月6日、藤田元騎手の引退表明と同時に、ある競馬サイトに本人の直筆メッセージが公開された。そのサイトでは藤田元騎手が引退直後の9月8日に、札幌にオープンするカフェバー「cafe bar favori」を紹介している。さらにそのサイトに記載されている引退表明後のサポートやマネジメントをすることになったO社のM社長は、北海道出身で藤田元騎手と20年ほどの付き合いがある人物。藤田元騎手が親友と認める数少ない一人だ。そのM社長、過去に札幌のカラオケコンテストで2位になるなど歌唱力に定評があり、飲食店経営を経て、歌手デビューを目指して上京。その際、CDデビューの面倒を見たのが東京を拠点にする某競馬情報会社グループだったという。
「松本大地の名前でデビューし『ありがとうのうた』は、北海道日本ハムファイターズの公認ソングに決定するも、その後、歌手として成功するには至らず、北海道全市町村を回るなどといった企画も頓挫。以降は大きな活動はしていませんでしたが、今では歌手は諦めたようですね」(芸能関係者)
O社は同グループが陰で設立したという会社で、社名はそのグループ名から一字をもらったそうだ。
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