「やっと褒められるようになっちゃって」【中川雅子】18年ぶりの“ひとりTPD”が駆け抜ける!
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――逆に、つらかったことは?
中川 女の子が集まれば揉め事もあるじゃないですか。私は一番年下だったので、そういうのには巻き込まれなかったんだけど「肩揉んで」とか、体育会系のそういうのは多々あって、まぁ嫌じゃなかったですけど、「こういう世界でも、こういうのがあるんだな」って思いながらやってましたね(笑)。学校行ってないぶん、いろんな人生経験を積ませてもらいましたよ。
――ちなみに、どうして退団されたんですか?
中川 当時まだ17歳で、学校に行ってないし、休みがないから昔いた友達の誘いも断り続けるしかなくて、そうすると友達もいなくなってきちゃって、恋愛もしてみたかったし、バイトもやってみたかったし……。
――その時期って、やりたいことがいっぱいですもんね。
中川 そうなの、それでリハとかに行ってもボサーっとしてたりとか、撮影があっても「早く帰りたいな」と思ってたりとか、そういう……つまりやる気がなくなっちゃったの(笑)。
――シンプル!!!
中川 TPDの中で一番大きいライブだった横浜アリーナも行けたし……武道館に行った時点で、子ども心にもう制覇した気になってたから、「もういいや」と思って辞めちゃいましたね。
――部活だって3年やれば卒業ですしね! その後、やりたいことはやりまくれましたか?
中川 それは、もう(満面の笑み)! バイトもいっぱいしたし、悪い遊びはしなかったけど、普通に友達と遊んだり、彼氏作ったりとか、いろいろできました!
――青春を取り戻しにいきましたね!
中川 ちょっと取り戻しましたね、それからはかなり濃い人生を歩みました。
――TPDの時よりも濃いんだ! その後、2012年にCHANCEで活動を再開されるまでは、具体的には何をされていたんですか?
中川 青春を取り戻そうと思ってエンジンをかけすぎたのかな、あのですね……(自主規制)お金を持ち逃げされて(自主規制)あとは書けません(笑)……(以下省略)。そういうことを長くしていました。
――わぁー書けるところがないぐらい凄い人生(白目)。そこからどうやって芸能界に復帰したというのですか……!
中川 TPDを演出してた中村龍史先生が、今はCHANCEっていう、30代以上の女性で構成される大人のパフォーマンス集団をやってるっていうのを、音楽プロデューサーのアッキー清水さんに聞きまして、「ええ~やりたいやりたい!」って、オーディションを受けさせてもらったんですよ。それに受かったは受かったんですけど、なんか、先生はもうアイドルはやりたくないみたいで。大人のエンターテイメントを作りたいらしくって、英語の曲とかを歌わなくちゃいけなくなってて。なんて言うの? 洋楽? 私、学校行ってないから英語がまったく読めないんですよ! だから、もう全然何言ってるのかわからなくって! アンコール曲とかで、どうしても歌わなきゃならないときは、一番簡単な部分を2カ所くらい割り振ってもらって、頭の中のカタカナを読んでいましたね!
――(爆笑)! 学校行きたくないからアイドルになろうと思ったらTPDで筋トレばっかりさせられて、今度はTPDをやろうとして英語の勉強をさせられるという!
中川 そう!英語の歌を課題曲に渡されたときに、もう愕然としちゃって、ストレスのせいか胃潰瘍になって、それからも、なんか体調悪くなっちゃって! あは!
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