“性の2大解放区”は北海道と静岡!? 県別「おんな変態度」ギョーテン調査結果
#週刊誌 #元木昌彦 #週刊誌スクープ大賞
この別冊でも、その名企画を真似て御巣鷹山に墜落した日航機に「乗れなかった」人たちの「後半生」という特集を組んでいる。
小沢一郎に田中角栄を語らせ、プライバシーをまったくのぞかせなかった役者・渥美清や、3000号を彩った人たちのワイドを組んでいるが、残念ながらかつての新潮の切れ味や新潮ならではのスクープはない。
時代が、週刊誌的なスクープを必要としていないのだろうか。それとも、週刊誌の劣化が進んでいるからだろうか。週刊誌を待ち遠しく読んだあの時代は二度と帰らないのか。猛暑の中、ガリガリ君をかじりながら考え込んだ。
だが、何も取り上げないのも愛想なしだから、渥美清が死ぬまで守り通した「鋼鉄のプライバシー」に挑んだ読み物を紹介しよう。
渥美清は本名を田所康雄という。若い頃胸を病んで片肺がえぐり取られ、時代劇のように肩からバッサリ切られた傷跡があったため、ロケ先でも誰もいない時に風呂に入っていた。
浅草でストリップの合間にやる軽演劇で腕を磨き、下積みを経て『男はつらいよ』で花が咲く。
だが、彼が住んでいる家を知っている者はほとんどいなかった。長年の友人だった黒柳徹子も、目黒区の自宅までクルマで送っていくと、決まって「そこでいいから」と、自宅から離れたところで降りて、自宅の前までは送らせなかった。
徹底しているのは、長年付き人や運転手をしていた人間にも、知らせなかったというのだ。
それは渥美清という俳優より、田所康雄という「個」を大切にしたかったからではないかとライターの飯田守氏は書いている。
「婦人公論」の昭和48年3月号に、渥美はこんなことを話している。
「僕はいつも女房というのはいないつもりでいるんだ。芝居をやっててね、扶養家族が精神面にチラチラあらわれたら、いけないと思うな。精神を、いつも、エンピツの先のように、とがらせておく。で、なんでも見たり聞いたりするたびに『ウン、そうだ』『ウン、そうだ』と、ビビッと反応する。大切だと思うな。とくに役者にとってはね。だから一人でいたいんだよ」
彼の奥さんは、白百合短大を出た女性だという。渥美が41歳の誕生日を迎えた年の3月に、出雲大社で結婚式を挙げたそうだ。17歳年下だった。長男はラジオ局に勤めているそうだ。
朝日新聞が主催する句会に出席していたという。俳号は「風天」。こんな句を詠んだそうだ。
「赤とんぼ じっとしたまま 明日どうする」
「背伸びして 大声あげて 虹を呼ぶ」
「お遍路が 一列に行く 虹の中」
私は、渥美がプライバシーを大切にした気持ちがわかるような気がする。「咳をしても一人」と詠んだ尾崎放哉を演じたかったそうだ。しょせんこの世は孤独が当たり前。その孤独に耐えなければ、役者としても人間としても一人前になれやしない。
そうやって徹底的に孤独になることで、あの寅さんの滋味あふれる笑顔を作り出していたのではないか。このところ、何本か寅さん映画を見ている。彼の抱えている孤独の影が、見ていて哀しくなるのは、こちらが年を取ったせいか。
週刊朝日で、わが心の永遠の恋人、吉永小百合がけなげに「戦争はだめ、核もだめ」だと言うてはる(どこの方言じゃ!)。彼女が原爆詩の朗読会を全国でやっているのは、よく知られている。
原爆の後遺症に苦しむ青年との悲劇を描いた『愛と死の記録』(相手役は彼女が結婚を切望したといわれる渡哲也。親の猛烈な反対で泣く泣く別れ、親への反発から15歳も年上でバツイチの男と結婚したといわれている)や沖縄戦で死んだ沖縄師範の女子学生たちのドラマ『あゝひめゆりの塔』、広島で胎内被曝した芸妓のテレビドラマ『夢千代日記』など、原爆や戦争の悲劇をテーマに据えたものも多い。
今は、井上ひさしの傑作『父と暮らせば』をベースに山田洋次監督が書いた、『母と暮らせば』(12月公開予定)を撮り終えたばかりだという。
「この本(父と暮らせば=筆者注)の冒頭で、広島と長崎に落とされた原爆のことを、日本人の上に落とされただけではなく、人間の存在全体に落とされたものであり、だからまた、あの地獄を知っていながら、知らないふりをするのは、なににもまして罪深いことだと述べています。人間が人間として生きることも死ぬことも、一瞬にして奪ってしまう原爆は、本当にとんでもないこと。その現実を私たちは絶対に知っていなければならないと思うんですね」(小百合)
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