トップページへ
日刊サイゾー|エンタメ・お笑い・ドラマ・社会の最新ニュース
  • facebook
  • x
  • feed
日刊サイゾー トップ > 連載・コラム >  パンドラ映画館  > 劇場版『天才バカヴォン』評
深読みCINEMAコラム【パンドラ映画館】vol.323

不幸のスパイラル少年と究極ニートオヤジが激突!?『天才バカヴォン 蘇るフランダースの犬』

vakabon052102.jpg絵画コンクールに落選し、失意のうちに亡くなったネロとパトラッシュ。悪の総帥ダンテによって、地獄から呼び戻された。

 過去のアニメ版では植木職人だったこともあるバカボンのパパだが、今回は完全なる無職。それでも、バカボンのパパは毎日楽しそうに悪ふざけしながら「これでいいのだ」と自分の置かれた状況を全肯定しながら暮らしている。オプチミストとしてのバカボンのパパを、バカボンもママもハジメちゃんも愛してやまない。バカボンの小学校に転校してきたネロとパトラッシュは、底抜けに明るいバカボン一家と接触していくうちに、風車小屋の放火犯と疑われ、牛乳運びの仕事さえ奪われたこの世の恨みつらみが次第に氷解していく。無職のバカボンのパパも、人を疑うことを知らないバカボンも、そして19世紀のベルギーの寒村からやってきたネロとパトラッシュも、「東から昇るお日様を西から昇らせる」ことに夢中になっていく。頭で考えればそんなことは不可能だと分かるのに、バカボンのパパはそれを良しとしない。バカボンのパパは誰も考えもしなかったことに全身全霊を傾ける。そこには「有名になりたい」とか「お金がほしい」といった邪念はまったくなく、100%のバカバカしさをバカボンのパパは追求する。そんなパパと一緒になってバカをやるのが、バカボンもネロもパトラッシュも堪らなく楽しい。

 バカボンのパパは定職に就いてないけど、毎日バカ笑いしながら暮らしている。一方、ネロは身寄りもなく、仕事も家も失い、絵の才能を開花させられず、不幸のスパイラルを断ち切れないまま孤独死してしまった。バカボンのパパも真逆のキャラクターであるネロも、どちらもFROGMANのもうひとつの顔だろう。菅野美穂主演の自衛隊コメディ『守ってあげたい!』(00)など実写映画の製作スタッフとして若き日を東京で過ごしていたFROGMANだが、邦画業界の薄給かつ超ハードスケジュールに耐えられず、奥さんの故郷である島根県に移住。月3万円の平屋で、たまにくる町内イベントの撮影などの仕事を請け負い、年収60万円(奥さんのパート代と合わせて年収160万円)という清貧ライフを送っていた。お金はないけど時間はある生活の中で、FROGMANはバカボンのパパみたいな無職一家のサバイバル物語をフラッシュアニメ『菅井君と家族石』にしてネットで配信した。この自主アニメが世間に評価されていなかったら、劇中のネロのように社会への憎悪の炎を燃やすことになっていたのではないか。FROGMANにとってバカボンのパパは理想の大人像であり、世間に認められることなくその短い生涯を終えたネロは自分がそうなっていたかもしれない、他人とは思えない存在だった。

 バカボンのパパの能天気さ、バカボンの純朴さ、ママとハジメちゃんの優しさに触れ、ネロとパトラッシュは久しぶりに人間の温かさを思い出す。だが、現実社会がそんなに包容力のある人たちばかりではないのもまた事実。ネロが名作アニメ『フランダースの犬』からやってきた他所ものであることを、イジメっ子の西河内(声:濱田岳)たちに責められ、ネロの怒りがホラー映画『キャリー』(76)のようにバクハツする。人間が抱く想念のエネルギーはものすごい。鬼神と化したネロと犬神パトラッシュは首都圏をたちまち火の海にしてしまう。街中がパニック状態に陥る中、ひとりだけ平然としている男がいた。そう、世間の常識にいっさい縛られることのないバカボンのパパである。ママの心配をよそに、バカボンのパパとバカボンは、ネロを影で操るダンテのアジトへと向かう。このときのパパの台詞が痺れるほどかっこいい。

「バカがバカでいられる間は、この世は大丈夫なのだ」

123
ページ上部へ戻る

配給映画