60年の時を超えて──日本人女性と中国人民解放軍兵士“禁断の恋”をつないだ「3つの約束」
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溝脇さんは杜さんが亡くなったことを知った後、家の客間に杜さんの写真を掲げ、毎日食事を作り、お茶と花を供えた。命日には粥を作った。亡くなる直前には、杜さんが粥しか食べられなくなっていたからだ。溝脇さんは杜さんと別れる際に3つの約束をしたという。それは帰国後、日本共産党に入党すること。医療の仕事を続けること。日中の国交が正常化したら必ず帰ってくること――。
溝脇さんはこの約束を守り続け、32年後の87年に、やっと中国へ戻ることができた。各地を回って杜さんの親戚や戦友に連絡を取り、杜さんの墓参りをしたいと告げた。しかし、文化大革命など国内で起こったさまざまな混乱が原因で、杜さんの墓を探し出すことも困難であることがわかった。そこで溝脇さんはあらためてお墓を建て、杜さんを供養することにした。墓碑に溝脇さんが刻ませた言葉は「永遠の友」だったという。88年に墓が完成すると、溝脇さんは日本から白い蘭を送り、2人の写真を印刷した陶器とともに墓の中へ入れたという。
その後も溝脇さんはたびたび武漢へ墓参りに訪れ、杜さんに関わる人々と連絡を取り続けた。そして、幾度となく訪中を続けた溝脇さんは2012年、83歳で亡くなった。彼女の遺言は、「遺骨の一部を中国に眠る杜江群と一緒に合葬してほしい」というものだった。
こうして14年6月、溝脇さんの遺灰と遺品は武漢へ送られ、杜さんが眠る墓に葬られた。60年間、離れ離れになった2人が、こうしてようやく結ばれたのだった。終戦直後、中国にいた一部の日本兵が中国にとどまって国共内戦に参加していた話などが伝えられているが、溝脇さんのように看護師として従軍した日本人女性もいたのだ。激動の時代がもたらした2人の数奇な運命に、多くの中国人は感動したようだ。
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