『ラブプラス』内田明理Pに聞く「コンシューマーゲームはなぜ、ソーシャルゲームに敗北したのか」
#インタビュー
内田 クリエイターとしては常に新しいものを作っていたいんですけど、“プレイヤーにどれほどの素敵な経験を残せるか”という点にこだわってゲームを作ってきたつもりだし、キャラクターたちにはプレイヤーにとって単なるキャラではなく、その人の体験として、あたかも身の回りにいる人物のような存在感を持ってほしい。だから当然、そこに対する責任、というのはあると思います。「どうしてくれるの、この恋心!」というユーザーさんの声、キャラクターたちを「登場人物」以上にしてくださった皆さんにどう応えていくことができるだろう、というのはまさに今のテーマです。
僕が手掛けてきたゲームって、そのキャラクター、ストーリーの明確な終わりというものはないんです。「さあ、ここからあなたのストーリーが始まりました」というエンディングだったり、エンディング自体がなかったり。たとえあなたがプレイをやめてしまっても、ゲームの中に彼、彼女たちは生きていて、いつでもあなたとのコミュニケーションを待っています、と。まあ、陰陽道でいう「呪」かもしれませんけど(笑)。
――ゲームに限らずエンタメ作品は、作品世界に没入した後はエンディングで日常に帰っていきましょう、という作りが定石ですが、内田さんの作品は毎回日常にどんどん介入してきますよね。『ラブプラス』人気が最高潮の頃には、熱海の旅館にDSを持っていって一緒にお泊まりしたり、実際に結婚式を挙げるプレイヤーが出現して大きな話題になりました。
内田 残念なことに、一部メディアではオタクの人の奇異な行為として面白おかしく取り上げられてしまいましたが、ほとんどのユーザーさんはちゃんとわかった上で、それに乗っかって楽しんでいるんです。「俺なんて、ここまでやっちゃったぜ!」と愛着を表現することが楽しいんです。同志と集まれば、なお楽しい。
――ゲームが、なんからの表現行動のきっかけになっている。
内田 そうです。自らコンテンツを演出する側に加わって発信しようとする。TwitterとYouTubeが、一気にそれを可能にしましたよね。みんなでひとつのコンテンツを、エンタメとして盛り上げようとしている。旗を振って誰かがやっているわけではないのだけど、イノベーターになる人たちがいるというのは、現代のサブカルの真骨頂だと思います。
やはりここ10年ほどで、ユーザーがエンタテインメントに求めている本質は大きく変わりました。今はユーザーがなんらかの形でそのエンタメに参加して発信できる、自分もそのエンタメの一部として立ち回れる、ということを求めていると思います。
■コンシューマーゲームはどうなる?
──ところで近年、コンシューマーゲームのビジネスが頭打ちになっている印象がありますが、実際にその市場で作品を手掛けられていた内田さんとしては、どんな印象をお持ちでしょうか?
内田 国内の話としていえば、ニンテンドーDSがコンシューマー業界のカンフル剤になったとはいえ、そもそもその以前から、強気のタイトルや予算のかかったタイトルにとってコンシューマーゲーム市場は厳しいビジネスになっていました。後に無料のモバイルゲームが台頭して、多くの人にとって、あるいはマスから見てゲーム市場のマジョリティは“暇つぶし層”である、ということが明確になりました。実際、僕らが携わっていたコンシューマーの歴代ハードでも今のアプリでも、市場が拡大したのはマスである「暇つぶし層」がゲームを「流行りの遊び」としていた時でした。
僕のお客様の多くはゲーム、あるいはキャラクターに理解の深い、いわゆるコアな方が多いわけですが、「ゲーム市場」となると、そういった皆さんと暇つぶし層の皆さんが「ゲーム専用機」のイメージに丸められて、一緒くたにされることがままあります。本当は、営業車と乗用車のビジネスくらい違うのに。そこに、ハードスペックを商品価値としづらいフィーチャーフォンを使って無料で遊ぶゲームが登場して、スマホアプリの登場後もコア層と暇つぶし層が「コンシューマー対アプリ」のようなわかりやすい構造で語られるようになったために、もともと数も金額も小さい前者が好むリッチコンテンツの需要自体が衰退したかのようなストーリーとして語られてしまうのは残念です。でも、本質はコンシューマーだから、アプリだからじゃないと思うんです。
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