渡辺徹に学ぶ“しんどくない”生き方 フジテレビ『有吉くんの正直さんぽ』(1月31日放送)を徹底検証!
#テレビ #タレント解体新書
なんだかしんどい世の中である。どこを向いてもギスギスしている。立場を明確にすることが何よりも求められ、かと言って自分と違う意見に耳を貸すのかと思えばそんなことはなく、壁を挟んだ言葉の応酬はお互いの差異を際立たせるだけで、延々平行線をたどるばかりだ。あらゆる人の、あらゆる場所を、しんどさが覆い隠そうとしている。そして、こういった呑気な考え方もまた批判されてしまいそうな、そんなしんどい世の中である。
そんなしんどい世の中でも、フジテレビ系では『有吉くんの正直さんぽ』が放送されている。有吉弘行と生野陽子アナウンサーがゲストとともに街を散歩するという、ただそれだけの番組には、一切のしんどさがない。散歩が好きな人が散歩をしている。ただそれだけだ。しんどくない。特にこれといったルールや目的地もない。それもまた、しんどくない。そして1月31日の放送でゲスト出演した渡辺徹(と、ずんの2人もだが)は、まさしくしんどくないタレントの筆頭といえるだろう。
昨年11月に放送された日本テレビ系『有吉反省会』でも指摘されていた通り、渡辺徹はまずそもそも、現在の本業がよく分からない。俳優として活躍していた過去はもちろん知られているが、今はどちらかといえば俳優というよりは「『ダウンタウンDX』(同)によく出る人」としてのイメージのほうがずっと強い。あるいは「かなり昔に『スーパーマリオクラブ』(テレビ東京系)の司会をやっていた人」だろうか。いずれにせよ、ほとんどの視聴者は、渡辺徹のことを俳優だとは思っていないはずだ。取り立てて、何もない人。それが渡辺徹だ。そしてその何もなさこそが、渡辺徹のしんどくなさ、言い換えれば安心感へとつながっている。
実際に『有吉くんの正直さんぽ』の中でも、渡辺徹は決して目立つような何かをしているわけではない。だが、明らかに場を支配している。それはなぜか。渡辺徹は、基本に忠実だからだ。ここで言う基本とは、すべての芸事に通じる「上げて、落とす」というスタイルである。渡辺徹はそのスタイルを絶対に崩さない。具体的に、この日の番組で実際に起こった一つの例を挙げよう。
(1)一同、銀座の街でウインドウに絵画が飾られた画廊を目にする。
(2)渡辺徹が「銀座には画廊が似合うねえ」と発言する。
(3)その発言を聞いたほかの出演者と視聴者が、確かに、と納得する。
(4)渡辺徹が「俺はこの絵がいいな」と言って、中華料理屋の看板の料理写真を指さす。
(5)出演者が渡辺徹にツッコんで笑いが起きる。
「上げて、落とす」になぞらえると、(2)が「上げて」であり、(4)が「落とす」である。重要なのは(2)の存在だ。(4)だけが単独で存在しても確かに落ちにはなるのだが、その落ちへの落差を大きくするために渡辺徹は(2)を自らの発言によって用意している。もちろん、基本中の基本ではある。ハリウッド映画の脚本メソッドにおいても、対立する場面を設置するというのはイロハのイだ。落差こそがカタルシスを生む。それは感動であれ、笑いであれ、同じことだ。しかし、この基本中の基本をやること、どれだけベテランになってもそれをやり続けるというまさにその点が、渡辺徹のタレントとしての真骨頂である。
さらに渡辺徹は、この「上げて、落とす」というシンプルな手法を突き詰めて、長い時間をかけた「上げて、落とす」を実践する。この日に番組で訪れたのは日本を代表する繁華街、銀座。このあたりには各都道府県のアンテナショップが多数存在していて、一同はその店舗を巡ることになる。渡辺徹は茨城県育ちだ。おそらく、というかほぼ間違いなく、茨城県のアンテナショップにも行くことになるのではないか。そう見越したであろう渡辺徹は、茨城県のアンテナショップに行ったときに「落とす」ことができるように、周到に準備をする。たとえば、有吉弘行の出身県である広島のアンテナショップで、あえて突っ込みどころを探して指摘していくのだ。それによって茨城県のハードルを「上げて」いる。茨城県のアンテナショッップで「落とす」ために。長い時間をかけて「上げて」きた茨城県の優位性を、その場所で「落とす」ことを狙って。
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